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『いわきニュータウン(1)(概要)』(平成30年3月28日市公式Facebook投稿)

問い合わせ番号:15222-1578-2928 更新日:2018年3月28日

いわきの『今むがし』Vol.91

(上)鹿島街道東側に位置づけされたいわきニュータウン(白線で囲まれた区域)-写真左が平、右が小名浜、手前が中央卸売市場-(昭和52年竣工)〔昭和50年頃、いわき市撮影〕
(下)後のいわきニュータウンとなる地域〔1/50,000地形図 平(明治41年測図)〕

20180328-1 昭和41年(1966)10月1日、いわき市は14市町村が合併して誕生しました。全国的にみても前例がない、大型の対等合併でした。
 しかも五つの市が隣接するというように市街地が分散していて、新市をどのように運営していくかという、大きな課題が横たわっていました。その一つの施策として新市を象徴するまちづくりとなるニュータウンの建設でした。
 新市のビジョンを策定する手法として、いわき市は合併前の昭和41年1月、各市町村の利害が絡んだなかで策定され、特色を容易に出せなかった「いわき市建設計画書」の欠点を是正するため、関係者以外の第三者に委ねることにより都市整備を科学的に調査検討するとともに、実効ある勧告案を樹立しようとしました。依頼先となったのが、東京大学工学部都市工学科高山研究室でした。
 この研究は昭和43(1968)年9月に「いわき市都市整備基本計画報告書」としてまとめられました。これが後に合併直後のバイブルとされる「高山レポート」でした。
 平と小名浜の中間点の丘陵地に住宅団地(ニュータウン)を建設する計画については、「いわき市建設計画書」に明らかにされていますが、高山レポートにおいても、平-小名浜を結ぶ道路と連動してこの計画を後押ししています。
 折りしも、ニュータウン建設計画は、高度経済成長期に顕著になっていった都市の人口過密を解消し、良い住環境を創出するため、全国主要都市において進められました。
もともとニュータウンとは、産業革命で悪化した住環境の改善をめざし、イギリスの都市計画研究者のエベネザー・ハワードが1902年に提言した田園都市論でした。(1)住居と職場が一体化した自立都市 (2)住宅地周辺は農地と緑地で囲まれている-などの理念を掲げましたが、日本では1960~70年代を中心に住宅供給に主眼が置かれ、ベッドタウン化した街がつくられました。この形態を取り入れて計画された多摩(たま)ニュータウンは昭和42(1967)年に造成が始まり、昭和46(1971)年から入居を開始しました。
 これらの日本流のニュータウンづくりは高度経済成長以降の住宅の形態として、全国に定着していきました。
 いわき市の場合は、新産業都市の指定や産炭地域指定に基づく産業振興の受け皿、小名浜の公害地区からの集団移転受け入れ、さらにはいわき市全体の人口増加に対応するものとして、これに見合った住環境を整備するという特徴を持っていたのです。

(上)現在のいわきニュータウンを鹿島街道西側から見る-写真右側の施設が中央卸売市場、左端の真ん中付近がいわき明星大学-〔平成27(2015)年12月、いわき市撮影〕
(下)写真2-2 近年のいわきニュータウンおよび周辺の地形図〔1/50,000地形図 平(平成19年修正)〕

20180328-2 ニュータウン構想は、「主要地方道小名浜-平線」(開通当時は主要地方道磐城-平線。通称・鹿島街道)の西側、鹿島台ニュータウンという計画もありましたが、炭鉱の地下坑道が懸念されて立ち消えとなりました。その後、場所は鹿島街道の東側に想定されることになり、昭和47(1972)年7月に鹿島街道の東側に広がる丘陵地を対象に「いわきニュータウン基本計画」として策定されたのです。地域としては、平地区の小泉、中山、上高久、吉野谷の大字、小名浜地区の鹿島町走熊、上蔵持、下蔵持、下矢田、常磐地区の上矢田町にまたがるものでした。総面積約531haに及ぶ大規模な計画で、一帯は標高30mから120mの丘陵地にあり、山林が90%を占めていました。
 このなかには、高等教育施設(大学誘致用地=約34ha)、高等学校、中学校、小学校、公園・緑地(県営の都市公園=約59ha)、タウンセンター、集合住宅などが位置づけされ、将来計画ではおおむね30年で6,400戸、2万5,000人を見込んでいました。
 建設の主体は当初福島県住宅供給公社でしたが、昭和49(1974)年8月、地域振興整備公団(←工業再配置・産炭地域整備公団←産炭地域振興事業団)が発足したことにより、事業主体が移行しました。昭和51(1976)年3月に事業実施基本計画が認可され、地域振興整備公団事業として採択されました。また、住環境への整備条件となる市街化区域への編入手続きも昭和53(1978)年12月に完了。昭和54(1979)年3月には待望の起工式が挙行されました。
 以後、土地区画整理事業の手法により、施行区域を拡大させ、これに合わせて昭和57(1982)年に中央台飯野一丁目の分譲を開始したのを皮切りに順次分譲を継続しています。
 こうしたなか、平成6(1994)年にいわきニュータウン内の緑道サザンクロスプロムナードが「まちづくり月間建設大臣賞」を、さらに平成9(1997)年10月には、「いわきニュータウン中央台鹿島地区」が、街並みのゆとりや潤いが評価されて、県内では初めて建設省の平成9年度都市景観大賞(百選)に輝きました。
(いわき地域学會 小宅幸一)

その他の写真

当初のいわきニュータウン予定図(昭和40年代)

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いわきニュータウン予定図(昭和52年12月、いわき市撮影)

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いわきニュータウン開発整備事業起工式薬玉割り(昭和54年3月、いわき市撮影)

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いわきニュータウン開発整備事業起工式(昭和54年3月、いわき市撮影)

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いわきニュータウン・中央台飯野分譲案内(昭和57年8月、いわき市撮影)

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いわきニュータウン受け付け分譲(昭和57年10月、いわき市撮影)

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