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『内郷宮町字金坂』(平成30年2月14日市公式Facebook投稿)

問い合わせ番号:15190-3954-6836 更新日:2018年2月14日

いわきの『今むがし』Vol.88

写真1-1(上) 磐城炭礦(株)内郷礦住吉坑(後の住吉一坑)の坑口(大正時代、郵便絵はがき 磐城炭礦(株)発行)
写真1-2-1(中) 常磐炭礦内郷礦住吉坑の石炭積込場と専用鉄道内郷線(昭和25年(1950)、常磐炭田史研究会提供)

写真1-2-2(下) 住吉坑水中貯炭槽と専用鉄道内郷線(昭和30年(1955)頃、長谷川達雄氏撮影)

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 磐城炭礦(株)は明治31(1898)年から内郷の宮川に沿い、西から東に向かって石炭開削を進めました。明治32(1899)年には、阿武隈高地東縁の内郷村大字宮字峰根から日本鉄道磐城線(現JR常磐線)綴(現内郷)駅まで2.9kmの石炭運搬用の専用鉄道を敷設しました。
 磐城炭礦(株)は峰根地区や宮地区から東方へ鉱区を移動し、大正8(1919)年に高坂本坑、大正11(1922)年に高坂二坑、昭和4年(1929)に住吉坑を開削・採炭開始。磐城炭礦(株)内郷礦は、大正14 (1925)年にピークの76万3,516tを産出しました。
 昭和11 (1936)年に三つの坑はそれぞれ住吉一坑(~昭和33年)、住吉二坑(~昭和11年)、住吉本坑(~昭和39年)と改称。磐城炭礦(株)は、昭和19 (1944)年3月に、入山採炭(株)と合併して常磐炭礦(株)となり、この間、坑口が峰根や町田から金坂へ移動するにつれて商店街も移行しました。
 金坂には住吉各坑の中継地となる専用鉄道石炭積込場が設けられ、坑口から運び出された石炭が石炭積込場から炭車に積み込まれ、駅を経由して全国に送られていきました。石炭積込場付近には、昭和27 (1952)年には中央選炭場、昭和29 (1954)年には全国初の水中貯炭槽がそれぞれ完成し、周囲に威容を誇りました。
 坑口の東進に伴って住吉坑の近くに成立した大字宮字金坂の商店街は「金坂銀座」と呼ばれ、繁華街を構成して地域経済の活性化に大きく貢献しました。
 「銀座」の言葉は、江戸時代に「銀貨を鋳造する場所」を呼んだことに由来したもので、全国から銀を鋳造する技術者が集められ、にぎわいをみせました。
 以来、銀座のにぎわいにあやかろうと、その名が全国に拡大し、にぎわいを象徴する区域に象徴的に名付けられました。
 いわき地方では、最初に「銀座通り」が誕生したのは、昭和6 (1931)年頃の平で、当時、通りは最先端の流行を見せる店などが進出したことから名付けられたものでした。
 金坂銀座もたいそうなにぎわいによって導き出された名称でした。特に、昭和時代初期、付近には「磐城劇場」、「昭和館」、次いで「磐城第二劇場」が誕生して、炭鉱関係者だけでなく、地域の娯楽の殿堂として多くの人を集客しました。昭和27 (1952)年頃から始まったとされる内郷回転櫓盆踊りの開催も、最初は金坂銀座の北側、金坂グランドにおいてでした。
 

写真2-1(上) 住吉本坑(住吉一坑)の坑口付近を訪れる人々(平成26年(2014)10月、おやけこういち氏撮影)
写真2-2-1(中) 住吉坑の水中貯炭槽跡、中央選炭場跡(平成7年(1995)1月、高萩純一氏撮影)

写真2-2-2(下) 住吉坑の水中貯炭槽跡、中央選炭場跡と専用鉄道を転用した市道(平成30年(2018)1月、いわき市撮影)

2017-2 内郷地区における主力鉱だった常磐炭礦(株)内郷礦の住吉本坑は、昭和29(1954)年10月、大量出水による水没で閉山せざるを得なくなりました。その後、昭和32年(1957)に激減緩和策として、子会社の内郷炭礦(株)が発足しましたが、主要部分を掘り終えて、昭和39(1964)年に閉山。これで内郷地区から炭鉱の姿が消え、以降炭鉱施設は撤去、あるいは他に転用できる施設以外は、徐々に野に帰っていきました。
 忘れ去られる一方だった、炭鉱遺構が脚光を浴びるようになったのは、前回の常磐上湯長谷町梅ケ平で紹介した「ヘリテージツーリズム」の考え方で、いわきの近代化を支えた“遺構”から“遺産”へ「まなざし」を変える認識が深まりました。市内にもこの認識を広めようと「いわきヘリテージ協議会」が発足。協議会会員などの案内によって、住吉坑に残る中央選炭場や水中貯炭槽、扇風機上屋、坑口の各跡が見せる威容や歴史的な風合いを体得しようという人々が市内外から訪れるようになりました。
 その一方で、石炭産業繁栄の恩恵を得てきた「金坂銀座」には、昭和20年代から30年代にかけて、当時、最新式のチェーン店方式で活動を展開していた平の大黒屋が、店舗拡張を図り、いわき地方の主要市街に支店を設置し、常磐湯本店、勿来植田店、磐城小名浜店とともに内郷金坂店にも進出するほどでした。それだけ、購買力が期待された時期で、このほか金坂銀座には、映画館、下駄屋、金物屋、八百屋、呉服屋、本屋、食堂、写真屋、薬屋、酒屋、炭鉱診療所などの店が林立していました。
 平成7 (1995)年1月11日付『いわき民報』では、金坂銀座でカメラ店を営んでいた店主のコメントが掲載されています。「内郷で一番の繁華街だったね。回転やぐら盆踊りも、今の内郷二中グラウンドでやってたんだから。(金坂銀座では)四十軒もの店がビッシリと軒を並べて、それはにぎやかだった」。
 しかし、石炭産業の消滅とともに、炭鉱住宅が縮小化し、さらに循環バスが内郷駅周辺や平市街と結ぶようになって、金坂銀座は疲弊を避けることはできませんでした。いつしか、金坂銀座は過去のものとなり、人々の記憶からも消えていきました。今は静かな時を刻んでいます。(いわき地域学會 小宅幸一)
  

その他の写真

常磐炭礦高坂坑から宮方面を遠望(昭和時代初期、郵便絵はがき)

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常磐炭礦住吉坑の中央選炭場(昭和27年、国分正雄氏撮影)

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内郷山神社から見た住吉ずり山と炭鉱施設(昭和30年頃)

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夜の内郷回転ヤグラ遠景・金坂グラウンド(昭和30年代、長谷川達雄氏撮影)

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内郷宮町金坂の「金坂銀座」(昭和41年頃)

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内郷町宮字金坂・大黒屋金坂店(昭和29年、田子千加江氏提供)

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内郷宮町の“金坂銀座”(平成7年1月、高萩純一氏撮影)

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金坂銀座のヘリテージツーリズム(平成19年4月、佐藤昌宏氏撮影)

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 内郷の炭礦跡地・住吉坑水中貯炭槽(平成19年4月、佐藤昌宏氏撮影)

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内郷の炭礦跡地・住吉坑煉瓦造扇風機上屋(平成19年4月、佐藤昌宏氏撮影)

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内郷礦住吉坑選炭場跡の探訪(平成19年、佐藤昌宏氏撮影)

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大正時代に築造された磐城炭礦高坂坑の坑口と扇風機上屋(平成20年1月、いわき未来づくりセンター撮影)

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