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『萱手団地→泉もえぎ台』(平成29年6月28日市公式Facebook投稿)

問い合わせ番号:14985-4926-0133 更新日:2017年6月28日

いわきの『今むがし』Vol.73

上:造成が進む萱手営農団地-大剣地区の北方約2kmの位置に造成されました-〔昭和47(1972)年3月、いわき市所蔵〕
下:下川字萱手付近の国道6号(工事中。現主要地方道いわき-上三坂-小野線)と小名浜へ通じる道路との三差路〔昭和30(1955)年頃、磐城国道事務所所蔵〕

201270628-1 それまでの半農半漁で生計を維持していた泉町下川(しもがわ)字大剣(おおつるぎ)などに居住していた地権者は、小名浜工業団地の造成計画によって漁業権を放棄したものの、その一方で、居住の確保とともに、営んでいた農業の継続を望んでいました。
 小名浜臨海工業団地造成のための用地買収の際、家屋の移転並びに代替農用地として、農業ができる環境を併せ持った移転先を、下川地区内に確保することを要望したのです。
 移転場所としては、同じ泉町下川でも北方約2kmに位置する字山ノ神、同字萱手(かやで)およびその周辺が選定されました。
 いわき市は地権者と協議し、国の補助を受け、昭和46、47(1971、72)年に集団移転農家53戸を受け入れるため、国道6号(現主要地方道いわき-上三坂-小野線)を挟んだ丘陵地を切り拓いて、「萱手営農団地」を造成、住民は昭和47、48(1972、73)年に順次移転しました。
 このほかにも昭和51、52(1976、77)年にかけて、勿来地区の石塚町(いしづかまち)地内に「石塚営農団地」が畑地として造成され、買い上げられた土地のうち、耕地の場合は3分の1、山林の場合は10分の1の割合でそれぞれ畑地が分譲されました。
 ところが、萱手営農団地は岩盤地質で、一部畑地としたものの本格的な農業経営には適さなかったことが明らかになりました。このため、将来の土地利用の条件として工業団地造成の主体である福島県企業局と下川工業団地対策委員会との間において、昭和48(1973)年7月2日付で「現在は農用地の指定を受けているが、団地造成の経緯等を尊重し、近い将来、農用地指定の解除を、都市計画法に基づく線引き変更がされるよう措置する」との覚書が交わされました。

上:住宅地として人気がある泉もえぎ台〔平成29(2017)年5月、いわき市撮影〕
下:現在の三差路〔平成29(2017)年5月、いわき市撮影〕

20170628-2 下川字大剣から移転して10年後、萱手地区の営農団地の実態をみると、総面積30haのうち、宅地は3ha、畑は7haで、残る20haは造成したままでした。
 この区域は「農業振興地域の整備に関する法律」に基づく農用地区域の網をかぶっており、また都市計画区域のうち市街地調整区域にあり、市街化区域のように宅地化を促進する区域でなく、農業を振興する区域となっていました。つまり、容易に宅地化できない区域として「線引き」によって区分けされたのでした。
 このため、土地所有者や泉町下川地区民は、何度か市街化区域への線引き変更を要望しました。
しかし、当時いわき市では市街化区域全体の20%が未利用地となっており、これらの課題を棚上げして市街化区域を拡大させることは困難であり、なによりも市街化区域への編入には農用地区域の解除が前提となった。しかも線引きの権限は最終的に国(現在は県)にあり、県市町村は意見や案を具申するにとどまっていました。
 具体的には、昭和43(1968)年6月に新しい「都市計画法」(大正8年公布の旧法は廃止)が公布(昭和44年6月施行)された後、昭和45(1970)年10月の第1回線引き、昭和53(1978)年12月の第2回線引きに続く、第3回の線引きを前に、いわき市と福島県は要望を受けて検討してきました。しかし、団地造成の特殊性やそれまでの経緯だけの要件では、他区域との整合性から推して線引き変更は困難な状況にあり、いわき市は線引き変更の要望はしたものの、昭和59(1984)年6月における第3回の線引き変更の対象とはならなかったのです。
 しかし、農用地区域の宅地化は次第に全国的な課題となって広がり、容認する方向へ傾いていきます。
 昭和58(1983)年開催の都市計画中央審議会においては、都市的土地利用と非都市的土地利用の共存を認め、「低密度で都市的土地利用と(農地等の)非都市的土地利用が共存する状態をも市街地形態の一つとしてとらえ、その共存の状態を望ましいものに誘導していく」という方向性が示されました。
 これにより、都市計画法は一部改正され、線引き見直しに向けて道が拓けました。いわき市は昭和63(1988)年度、土地区画整理事業に必要な現地測量を実施。その一方、営農団地の住民(60世帯、270人)は、組合施行による土地区画整理事業の手法で農用地を宅地と公共用地に変えることとし、平成3(1991)年1月、福島県から組合設立の認可を受け、同年1月、「泉西部土地区画整理組合」を設立し、同時に「泉西部土地区画整理事業」(58.1ha)として事業認可を受けました。
 平成6(1994)年には事業に着手しましたが、一部地権者の反対があって事業が一時ストップするという事態も生じました。一部換地を変更して着工にこぎつけたのは、認可から10年目の平成13(2001)年のことでした。
 こうして、平成20(2008)年までに土地区画整理事業の換地処分が行われ、字名の変更も行われ、地域住民になじみのある“萱手団地”は消失し、「泉もえぎ台」となりました。
 泉もえぎ台の環境が大きく変わったのは、東日本大震災が発生した平成23(2011)年3月以降のことでした。原発事故で双葉郡などから多くの住民が転入するようになったのです。泉もえぎ台が全国的に注目を浴びるようになったのは、平成27(2015)年3月における地価(土地取り引きの指標となる地価)の公示で、前年に比べ17.1%アップし、全国一の伸び率となったからでした。高台に位置し地盤が安定している、特急列車が停車する泉駅に近い、などの利点が人気を呼んだのです。
 いわき市の地名は14市町村時代の地名を引き継いだものが多いのですが、近年はその“法則”が希薄になるなか、単なる「もえぎ台」でなく「泉もえぎ台」としたことが、この地域の新たな個性をあらわしているのではないでしょうか。
(いわき地域学會 小宅幸一)

その他の写真

萱手営農団地(現泉もえぎ台)の造成(昭和46年2月、いわき市撮影)

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萱手営農団地(現泉もえぎ台)の造成(昭和48年2月、中村弘道氏撮影)

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空撮・磐城工業用水道事務所や萱手団地を見る(昭和53年頃、いわき市撮影)

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