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『松ヶ岡公園(松ヶ岡公園からの眺め)』(平成29年5月24日市公式Facebook投稿)

問い合わせ番号:14955-2332-9459 更新日:2017年5月24日

いわきの『今むがし』Vol.71

「磐城」松ヶ岡公園から見る平市街(大正時代 郵便絵はがき 佐々木商店)

20160524-1 松ヶ岡公園は西に阿武隈高地の東縁から突き出た岩石丘陵地で、ここからは直下の家屋群、さらにはそれに続く家並みの連なる光景が一望できます。
 松ヶ岡公園から眺めていくと、左手には従来と異なった土地利用として、明治33(1900)年10月に創業した磐城耐火煉瓦(合資)製造所煉瓦工場(→明治42年12月に日本窯業(株)→大正5年3月に品川白煉瓦(株)磐城工場→同年6月に同平第二分工場→同年9月に火災→大正11年1月に材木会社に売却)が進出し、建物や煙突が見えます。
 視界の中央には、紺屋町から本町通りに続く街並みの移り変わりが見えます。
 明治39(1906)年1月の日付が記された「祝光榮平和新年」の絵はがきには、この年の2月に起こる「平大火」前、明治34(1901)年頃の平市街が見渡されます。幸い、写真手前は焼け出されなかったことから、大火前後の家並みを見比べても、大きな違いはありません。
 明治時代から大正時代にかけて、平のような地方都市では、建物の高さは二階建てがせいぜいで、それより高くそびえるのは醤油工場の建物や煙突、中野洋品店の時計台(大正7年に設置)しか見当たりません。遠方には明治40(1907)年10月に竣工した日本耐火煉瓦(株)平町工場(→大正元年11月に品川白煉瓦(株)平分工場→大正5年6月に同平第一工場→大正8年7月に一部用地を磐城炭礦へ売却→大正11年1月に同平工場→大正12年9月に火事で焼失→昭和2年10月閉鎖)の大煙突が目立つ程度であった。
 大正元(1912)年10月8日付け『いはらき』新聞は、記者暼見(べっけん)記(短い時間でざっと見ること。)として、次のように平町の印象を記述しています。「平町公園(このとき松ヶ岡公園の名は付いていない。)に上って見る。(中略)辿(たど)り着くに汗が出る位の高さだから、眺望に富んでを(お)るはいふ(う)までもない。夏井川が一條の白を引いて帯の如く流れてを(お)り、平町三千の屋瓦(おくが)は悉(ことごと)く一眸(いちぼう)の裡(うち)に集まっている。鎌田の遊郭迄(まで)が黄色く稔(みの)った田圃(たんぼ)を隔(へだ)てて遥かに見える。此(この)公園から望んだ平町は何物をも秘(か)くすことは出来ぬ。實(じつ)に其(その)赤裸々を吾人(ごじん)の前に展開したのである」とあります。
 視界の右手には、新川(現新川緑地)の向こうに田園風景が見えます。
 大正時代中期以降になると、遠方、大正9(1920)年操業の磐城炭礦(株)平発電所の建物や煙突が目立っていたものの、手前の光景は昭和20(1945)年の3度にわたるアメリカ軍の空爆を受けるまで、長らく変わることはありませんでした。

松ヶ岡公園から見る平市街(平成29(2017)年5月 いわき市撮影)

20170524-2  昭和20(1945)年3月10日の午前1時前後(諸説あり)、飛来したB29戦闘機が平市街南方の白土から侵入し、長橋町、材木町、紺屋町、古鍛冶町、研町と、松ヶ岡公園手前にかけて焼夷弾約100個を投下しました。1個の焼夷弾は空中で30数本に分散して花火のように降り注ぎました。
 火の手は各所から一斉にあがり、折から10m前後の強い西風が吹いていたこともあって、たちまち炎に呑み込まれました。平警防団消防隊員50人、3台(ほかの2台は東京に徴用)のポンプ車、それに四倉町から駆けつけたポンプ車が消火に当たりました。平市立高等女学校に駐屯していた兵士約20人も延焼防止に努めました。この間、風向きが北方へ変わります。必死の消火活動もあって、幸いにも類焼は掻槌小路から南へ延びる通りが図らずも防火線となって、その手前で止まり、南町や一、二町目方向への類焼はまぬがれました。明け方風が止み、やがて被災区域はようやく鎮火しました。
 この日、平市議会臨時会が開会され、被害状況が報告されました。被災世帯は547、同人数は3,010人、死者13人、重傷3人(『戦災復興誌』と異なる)でした。ただちに炊出しを実施し、救援の手を差しのべるため、「戦時罹災(りさい)者緊急救護ノ件」が提案され、援護の必要により、罹災救助金のカタチで5,000円、市費より2万5,000円を支出する案が提案されて可決されました。市費のうち1万円分については、日用品で交付しました。
 焼け出された街は、昭和21(1946)年度から昭和31(1956)年度までの「平戦災復興土地区画整理事業」(施行面積=51.9ha)によって、生まれ変わりました。
 その後、昭和時代から平成時代にかけての移り変わりを比較すると、遠方の平(平成6年12月に「いわき」)駅周辺に高層ビルが建つようになりましたが、かつて焼け出された古鍛冶町や紺屋町、研町などの近景に大きな変化はありませんでした。
 松ヶ岡公園から見る眺めで、目に見えて大きく変化したのは、平成14(2002)年4月に完成したT1(ティーワン)ビルでした。
 松ヶ岡公園近くの街並みは、焼失後70年余を経て、落ち着いた雰囲気で訪れる人を迎えてくれます。
(いわき地域学會 小宅幸一)

その他の写真

「磐城 平町全景・尼子橋」祝光栄平和新年(明治39年 郵便絵はがき 平活版所)

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松ヶ岡公園から平市街地を俯瞰(大正時代 郵便絵はがき)

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松ヶ岡公園から平市街地を俯瞰(昭和10年代 郵便絵はがき)

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平市制施行を記念して絵はがきを発行(昭和12年 郵便絵はがき「躍進平市風景愛郷画状」)

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松ヶ岡公園から平市街を見る(昭和34年4月 今野冨三氏提供)

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松ヶ岡公園から平市街を見る(昭和43年4月、いわき市撮影)

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松ヶ岡公園から平市街を見る(昭和56年3月、いわき市撮影)

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松ヶ岡公園から平市街を見る(平成8年、いわき市撮影)

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平市街における空襲で被災した区域

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