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『松ヶ岡公園(安藤信正公の銅像)』(平成29年4月26日市公式Facebook投稿)

問い合わせ番号:14931-9514-2852 更新日:2017年4月26日

いわきの『今むがし』Vol.69

初代安藤信正公の銅像(大正時代 郵便絵はがき)

69-1 松ヶ岡公園の園内には、磐城平藩主・安藤対馬守信正(あんどうつしまのかみのぶまさ)公の立像が設置されています。
 信正公は、江戸時代末期の弘化4(1847)年に藩主となり、万延元(1860)年には幕府の老中に就任。外国事務取扱を務め、開国をめぐって外国との修好条約を結び、幕府と朝廷の縁を強化する公武合体(こうぶがったい)など、国政に力を尽くした人物です。この功績を称え、旧藩士の集いである平安会の提唱により、大正11(1922)年6月に建立されたもので、製作者は平町字八幡小路の彫刻家・本多朝忠氏です。台座は4m50cmもあり、像の高さは3m、合わせると7mを超えるという大きな建造物です。
 その立像は、大正時代から昭和時代へ、平市街の発展を見守ってきましたが、昭和10年代に入ると、次第に戦争の影が忍び寄ってきます。
 日本が参戦した昭和16(1941)年の太平洋戦争以降、戦争を継続するための物資不足が深刻化。さらに戦局悪化で、大砲などの原材料となる金属類を回収するため、昭和18(1943)年には「貴金属等非常回収要綱」が閣議決定されました。
 この要綱により、家庭や職場にある金属類は供出(きょうしゅつ)しなければならなくなりました。戦局が悪化するにつれて、それだけにはとどまらず、社寺の鐘楼(しょうろう)や学校の二宮金次郎像などの公共施設の金属類も対象となっていきます。同様な理由で松ヶ岡公園における安藤信正公の銅像や子鍬倉(こくわくら)神社における大越中佐の銅像も、例外ではなく供出されました。
 この二つの銅像は昭和19(1944)年1月、戦列に参加するための壮行会が行われ、台座を残し像は姿を消しました。
 関係者だけでなくほとんどの人は、おそらくは像は溶かされ大砲として御国(おくに)のために役立った、と思ったことでしょうが、戦後、事は想定外の憶測を呼びました。
 昭和20(1945)年12月20日付の新聞『磐城春秋』によると「安藤信正侯の銅像が目的地の釜石(岩手県)迄(まで)ゆきつかずに、宮城県塩釜市に滞留中終戦となり、市民の誠意も空しく、風雨にさらされている」と報じられました。その一方、昭和28(1953)年9月10日付の『いわき民報』では、関係者の弁として、屋敷内に持ち込んでいた銅像を当局の嘱託古物商がつぶして運び去った、たぶん砲弾になったのではないか、と語尾に希望的観測を滲ませて報じられていますが、顚末(てんまつ)は明らかではありません。
 供出された直後、銅像が供出されるのを惜しんだ平市民の気持ちを汲(く)んで、平市などの関係者は精神教化のために、陶器あるいはコンクリートによる代用品を建てようという機運を盛り上げました。しかし、外型の製作に着手したものの、戦争が激しくなるなか、中断し、実現することはありませんでした。

現在の安藤信正公の銅像(平成29(2017)年4月、いわき市撮影)

69-2 戦争で供出された安藤信正公の立像を復活させよう、という動きは、戦後の混乱期が落ち着いた昭和20年代後半から活発になりました。
 平安会を中心として「安藤信正公銅像再建期成同盟会」(会長=諸橋久太郎氏)が結成され、昭和32(1957)年から資金捻出や製作について協議を続け、募金活動が開始されました。製作は前回と同様、本多氏へ依頼しました。台座が残されていたこともあり、規模は以前のモノと同じとしました。
 銅像の鋳造製作は着々と進ちょくし、昭和36(1961)年4月には原型が完成。しかし、建設資金は容易に集まらず、関係者を悩ませました。この事態に平市議会としても、無視はできませんでした。昭和36年6月開会の市議会では補正予算として100万円が計上されました。
 この提案には、“建設の是非を最初に論議すべきだったのではないか”、“100万円の根拠はなにか”などの議論が続出しましたが、最終的に可決されました。建設費の調達に目途がつき、除幕式にこぎつけたのは、昭和37(1962)年7月のことでした。
 この立像のかたわらには、平成19(2007)年2月、同記念事業実行委員会が磐城平藩主安藤家の入部250年を記念して、説明板並びに記念碑が建てられました。
 社会の波にさらされながら、紆余曲折(うよきょくせつ)を経て、現在に生きる安藤信正公の銅像。昭和10年代以前に建てられた多くの銅像や寺社の鐘楼(しょうろう)とともに消失の憂き目に遭いましたが、復活したのは、江戸時代末期の内憂外患(ないゆうがいかん)の荒波に揉(も)まれるなか、懸命に日本の舵取りをした功績の大きさを示すものではないでしょうか。
(いわき地域学會 小宅幸一)

その他の写真

平市制施行を記念して絵はがきを発行(昭和12年 郵便絵はがき「躍進平市愛郷画状」)

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安藤信正公の銅像(昭和30年代後期 郵便絵はがき 平市・平市観光協会)

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台座が残されたままとなっていた安藤信正公の銅像(昭和30年頃、「たいら観光絵はがき」平市観光協会)

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安藤信正公の銅像(昭和41年4月、渡辺聖一氏提供)

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松ヶ岡公園のツツジ、安藤信正公の銅像(昭和48年5月、いわき市撮影)

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松ヶ岡公園のなかの安藤信正公像(昭和57年4月、いわき市撮影)

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