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『波立海岸・弁天島』(平成28年12月7日市公式Facebook投稿)

問い合わせ番号:14806-4536-9048 更新日:2016年12月7日

いわきの『今むがし』Vol.60

整備される前の波立・弁天島 〔昭和40(1965)年ごろ 石田美恵子氏提供〕

1 波立海岸と弁天島、弁天橋(昭和40年頃、石田美惠子氏提供) 久之浜海岸(古くは「木(古)奴美ケ浜(こぬみがはま)」と呼称)から南へ、砂浜は弓形になって波立海岸に続いています。
 波立海岸を仔細(しさい)にみると、自然の波と風によって研磨された細かい玉砂利を敷きつめたような浜となっています。手に取って海水に浸すと、小豆大の粒が濡れて光り輝きます。
 この玉砂利は波立海岸や弁天島を構成する礫岩層(れきがんそう)の礫と同種であることから、ここから波や風雨の力で崩され砕かれて海岸に敷き詰められたものと考えられます。
 近くには「告」の看板が建っていました。「古来よりこの海岸の玉砂利を持ちかえると薬師如来の御威光にふれ眼病を患うし言伝られている」。霊験(れいげん)あらたかな伝説です。
 砂浜海岸が尽きたあたりから一転して、海岸は磯浜へ変化します。海中からはそそり立つ岩礁が見えます。弁天島や鰐ケ淵(わにがふち)などと名付けられ、岩に押し寄せる波はしぶきを高く上げ、白波が渦巻く様は、岩に立つ人をも呼び込む勢いで、この淵には、寺の娘が島に棲んでいた鰐鮫(わにざめ)にさらわれてしまい、この岩付近で敵討ちしたという伝説が伝わっています。暴れる鰐の波しぶきは激しく、ちょうど岩にぶつかって立ち上がる波のようだったので、「鰐ケ淵」の名が付けられたといいます。
 かつては陸続きでしたが、一説では江戸時代の応永17(1410)年に起った地震で寸断、奇岩が海中に突き出る、現在の形になったといわれています。
 波立・弁天島は崩れやすい砂岩層から成り、高さ17m前後の島状になっていて、干潮時には地続きとなります。頂上から中腹にかけてかつては数本のマツやビャクシンが見えていました。島のなかには弁財天がまつられていますが、平坦ではなく、波と風に侵食された奇岩に囲まれています。
 弁天島には弁財天が祀られていて、島へは干潮時には渡れても満潮時には渡れませんでした。これを解消しようと、昭和8(1933)年、地元の青年団や住民の協力によって、陸地から岩伝いに木橋「海雲橋」(後に弁天橋)が架けられました。
 当時の橋は、現在の橋よりも低く、途中では岩場を足場として使っていて真直ぐではありませんでした。また、高波が押し寄せると波をかぶり、破損もたびたびで、その都度修復しなければなりませんでした。

大勢の人が訪れる元旦の日の出時 〔平成22(2010)年1月 いわき市撮影〕

2 波立海岸・弁天島の日の出(平成22年1月、いわき市撮影) 昭和27(1952)年、新たに四倉-久之浜の間に海岸に沿う道路(後の国道6号)が開通すると、観光地として脚光を浴びるようになり、観光客が増えていきました。一方、橋の老朽化、島の浸食が進むとともに、度重なる台風や高潮により、景観・施設維持は困難な状況になり、また観光客の安全性を確保する観点からも、抜本的な改修の必要性に迫られました。
 このためまず、弁天橋が昭和48(1973)年に木製から朱塗りのコンクリート製へ架け替えられ、さらに平成14(2002)年には延長60m、幅も2mに拡張してリニューアルされました。
 島の浸食も問題でした。島の中央には南側上部から北側下部にかけて垂直に断層が走り、そのまま放置しておくと、縦にさけ落ちてしまうことから、中央部分の断層をクギ付けするため、岩盤相互に大小22本のパイプを打ち込んでつなぐ工法を取り入れ、さらに島全体へコンクリート肉付けする補強工事が、昭和52(1977)年と59(1984)年に施工されました。
 鳥居も平成4(1992)年には木製からコンクリート製に建て替えられました。(近年では、台風で損壊し、平成28年6月に再建)
 また、昭和40年代、波立海岸の浸食が急速に進んだことから、昭和50(1975)年から5か年をかけて沖合に離岸堤が設置され、ようやく砂浜は元の姿を戻せるようになりました。
 このように多くの努力うえに成り立っている、波立・弁天島の美しい景観。橋と弁天島が初日の出に照らされる光景は、県内有数の人気スポットとして元旦を中心に大勢の人を呼んでいました。また、初夏には赤紫色の蝶形の小花・ハマエンドウの花、続いてハマヒルガオが砂浜に彩りを添え、夏には「久之浜・波立海水浴場」(久之浜海水浴場が平成14(2002)年夏を最後に廃止されたため、平成15(2003)年に改称)海水浴場がにぎわいをみせていました。
 しかし、平成23(2011)年3月に発生した東日本大震災の発生によって状況は一変しました。津波や地震の被害を受け、一部区域では立ち入りが制限されてしまいました。
 現在、防潮堤や道路などの復旧・復興が進む海岸域。周辺整備が進み、ふたたび、市観光スポットの一つとして大勢の人でにぎわいをみせることが待望されています。

周辺マップ(現在)

現在の周辺図 

周辺マップ(明治41年(1908)当時の波立周辺図)

★明治41年(1908)当時の波立周辺図 

その他の写真

3 波立海岸、弁天島、波立寺(時代不詳、郵便絵はがき)

3 波立海岸、弁天島、波立寺(時代不詳、郵便絵はがき) 

4 波立薬師・若連の櫓踊(年代不詳、郵便絵はがき)

4 波立薬師・若連の櫓踊(年代不詳、郵便絵はがき) 

5 波立海岸撮影会(昭和29年7月、松本正平氏撮影、松本正夫氏提供)

5 波立海岸撮影会(昭和29年7月、松本正平氏撮影、松本正夫氏提供) 

6 弁天橋(昭和30年代初め、野木茂氏撮影)

6 弁天橋(昭和30年代初め、野木茂氏撮影) 

7 弁天島の鰐ケ淵(昭和30年代、小泉屋文庫提供)

7 弁天島の鰐ケ淵(昭和30年代、小泉屋文庫提供) 

8 弁天島から見る殿上岬(昭和30年代、渡辺聖一氏提供)

8 弁天島から見る殿上岬(昭和30年代、渡辺聖一氏提供) 

9 波立海水浴場(昭和37年7月、渡辺聖一氏提供)

9 波立海水浴場(昭和37年7月、渡辺聖一氏提供) 

10 弁天島を俯瞰(昭和39年1月、渡辺聖一氏提供)

10 弁天島を俯瞰(昭和39年1月、渡辺聖一氏提供) 

11 弁天島と弁天橋(昭和40年代初め、笹島静江氏提供)

11 弁天島と弁天橋(昭和40年代初め、笹島静江氏提供) 

12 弁天島と波立海水浴場(昭和40年代、宇田恒雄氏撮影)

12 弁天島と波立海水浴場(昭和40年代、宇田恒雄氏撮影) 

13 波立海岸の土産売り場と食堂(昭和42年10月、いわき市撮影)

13 波立海岸の土産売り場と食堂(昭和42年10月、いわき市撮影) 

14 波立海岸で「ウニ」売り(昭和44年5月、いわき市撮影)

14 波立海岸で「ウニ」売り(昭和44年5月、いわき市撮影) 

15 弁天橋工事(昭和48年5月、いわき市撮影)

15 弁天橋工事(昭和48年5月、いわき市撮影) 

16 工事中の弁天島(昭和52年7月、いわき市撮影)

16 工事中の弁天島(昭和52年7月、いわき市撮影) 

17 工事中の弁天島と磯遊び(昭和52年7月、いわき市撮影)

17 工事中の弁天島と磯遊び(昭和52年7月、いわき市撮影) 

18 弁天島から見る弁天橋(昭和54年6月、いわき市撮影)

18 弁天島から見る弁天橋(昭和54年6月、いわき市撮影) 

19 波立海岸における浜降りと子ども神輿(平成時代初期、いわき市撮影)

19 波立海岸における浜降りと子ども神輿(平成時代初期、いわき市撮影) 

20 波立海岸のハマヒルガオとハマエンドウ(平成5年、いわき市撮影)

20 波立海岸のハマヒルガオとハマエンドウ(平成5年、いわき市撮影) 

21 波立海岸、弁天島・弁天橋(平成6年7月、いわき市撮影)

21 波立海岸、弁天島・弁天橋(平成6年7月、いわき市撮影) 

22 波立弁財天(平成6年7月、いわき市撮影)

22 波立弁財天(平成6年7月、いわき市撮影) 

23 弁天橋から見る波立海水浴場(平成6年7月、いわき市撮影)

23 弁天橋から見る波立海水浴場(平成6年7月、いわき市撮影) 

24 弁天橋改修の完成(平成14年4月、いわき市撮影)

24 弁天橋改修の完成(平成14年4月、いわき市撮影) 

25 波立海岸の初日の出(平成16年1月、いわき市撮影)

25 波立海岸の初日の出(平成16年1月、いわき市撮影) 

26 波立寺のアジサイ(平成28年6月、いわき市撮影)

26 波立寺のアジサイ(平成28年6月、いわき市撮影) 

27 波立海岸の防潮堤工事(平成28年9月、いわき市撮影)

27 波立海岸の防潮堤工事(平成28年9月、いわき市撮影) 

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