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『三和トンネル』(平成28年7月6日市公式Facebook投稿)

登録日:2016年7月6日

【いわきの『今むがし』 Vol.50】

【三和トンネル西側の取り付け道路 写真奥、左から右へ、旧国道が見えます。〔昭和42(1967)年1月 いわき市撮影〕】

1_三和トンネル西側(昭和42年1月、いわき市撮影) 平-北好間-合戸(ごうど)-渡戸(わたど)-中寺-下・上市萱(いちがや)-下三坂を結ぶ道路は江戸時代には三坂街道と呼ばれていました。
 そのなかの一つ、中寺(なかでら)村宿(しゅく)は、江戸時代の文政11(1828)年に記された『陸奥国磐城名勝略記』のなかで「仙道五駅」の一つに挙げられ、現在も字宿という地名が残っています。
 三坂街道は明治時代以降、人馬の往来が多くなり、道路整備は沿線住民にとって長年の悲願となりました。
 沿線住民の運動が実って、大正12(1923)年には待望の県道に昇格。「三坂街道県道編入祝賀会」では、関係者が“将来の整備に向けた大きな一歩であり、沿線で産出する林産物を中心とした輸送に大きな役割を果たす”と、期待のあいさつをしました。
 しかし、その後隘路(あいろ)は容易に解消されず、昭和20年代においても中寺で行われた馬市では、競り落とされた馬が平に運ばれるのに数時間かかった、という話があるほどでした。
 道路整備が進んだのは、その直後でした。日本の復興はめざましく、これに歩調を合わせるように、平-新潟を結ぶ道路として昭和28(1953)年に二級国道に、さらに昭和37(1962)年5月に一級国道に、それぞれ格上げされて整備が進みました。
 いわき地方では、好間村大字北好間から三和村大字合戸にかけての山間部、同大字渡戸と同中寺にかけての山間部、それに上市萱と上三坂に横たわる長沢峠が難工事となりました。
 このうち、大字渡戸字峠平(とうげひら)から同楢木(ならぬき)、さらに大字中寺字宿の間は、好間川に沿った道路が曲がりくねっているうえに人家が道路沿いに密集している個所があることから、旧国道の道路を避け、一直線の道路として新路線が計画され、山腹を貫いたのが三和トンネルでした。

旧三和トンネル取り付け道路から見る国道49号「いわき三和トンネル」の取り付け道路〔平成28(2016)年3月 いわき市撮影〕

2_三和トンネル西側(平成28年3月、三和支所白石撮影) 三和トンネルは昭和37(1962)年9月に着工。岩盤に風化した花こう岩や柔らかい砂礫(されき)層などが挟まっていて工事は難航しましたが、昭和39(1964)年6月に開通しました。トンネルの延長は250m、幅7m、高さ5.8mで、両側には合わせて1,495mの取り付け道路が設けられました。昭和40(1965)年10月には、合戸-下市萱の舗装工事が完了しました。
 開通後も、登坂車線やがけ崩れ防護壁の設置など、道路改良が行われるなか、三和トンネルは老朽化に加え、さまざまな不備が指摘されるようになりました。
 三和トンネルの断面積が狭く、ISO国際規格となる背高海上コンテナ(9フィート6インチ=約2m90cm)の高さに比して対面通行に支障を来していました。防災上の抜本的な対策も求められていました。また、トンネル前後区間が急な坂道となっていたため、交通量が多くなるにつれて、トンネル付近の交差点付近では追突事故が発生するようになりました。
 何よりも、小名浜港が海外との外貿コンテナ船による物流港として発展するなか、県南・県中の工場・事業所と小名浜港を結ぶコンテナ輸送にとって、円滑な輸送ルートを確立することは最重要課題となってきたのです。
 新トンネル建設事業は平成16(2004)年、旧トンネルに並行して南側に計画され、平成19(2007)年に工事に着手されました。新トンネルは旧トンネルの3倍の743mへ、その取り付け道路を含め、新設区間は約1.7kmとなりました。トンネル完成によって、これまでの不備はすべて解消され、公募によって新しいトンネルは「いわき三和トンネル」と名づけられました。
 社会の要請によって変化していく道路形態のうち、トンネルは土木建築技術の向上と相まって、長大化してきた歴史でもありました。
 磐越自動車道が出来て、国道49号では、ひたすら時間短縮を図る自動車の通行は少なくなりましたが、費用対効果を図ろうとする貨物自動車や沿線観光、地区間往来にとっては重要な道路であることに変わりありません。

周辺マップ

3_三和トンネル周辺マップ 

その他の写真

三和トンネル工事(昭和38年7月24日付 『いわき民報』から引用)

4_三和トンネル工事(昭和38年7月24日付 『いわき民報』から引用) 

空撮・三和町下市萱の国道49号上空から好間方面を見る(昭和50年頃、いわき市撮影)

5_空撮・三和町下市萱の国道49号上空から好間方面を見る(昭和50年頃、いわき市撮影) 

昔の国道・三和町渡戸(昭和62年7月、高萩純一氏撮影)

6_昔の国道・三和町渡戸(昭和62年7月、高萩純一氏撮影) 

市立三和中学校(昭和62年7月、高萩純一氏撮影)

7_市立三和中学校(昭和62年7月、高萩純一氏撮影) 

三和町の国道49号・三和トンネル西方(平成9年6月、いわき市撮影)

8_三和町の国道49号・三和トンネル西方(平成9年6月、いわき市撮影) 

いわき三和トンネルを西側から見る。写真左奥が旧国道(平成28年6月、三和支所撮影)

9_いわき三和トンネルを西側から見る。写真左奥が旧国道(平成28年6月、三和支所撮影) 

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総合政策部 広報広聴課

電話番号: 0246-22-7402 ファクス: 0246-22-7469

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