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『井戸沢橋』(平成28年8月31日市公式Facebook投稿)

問い合わせ番号:14651-7897-9605 更新日:2016年8月31日

いわきの『今むがし』 Vol.54

吊橋型の井戸沢橋を渡る乗合バス 〔昭和20代 板津弥吉氏所蔵〕

01_吊橋型の井戸沢橋を渡る乗合バス 〔昭和20年代 板津弥吉氏所蔵〕 井戸沢橋(いとざわばし)は鮫川に架かる橋で、現在の山田町と田人町旅人を結んでいます。江戸時代には中通りと結ぶ「塩の道」として機能していましたが、橋は架けられず、井戸沢側に物資の往来をチェックする番所(ばんしょ)が置かれていました。
  明治17(1884)年頃、仮橋が渡されましたが、たびたび流失して交通が遮断され、橋の態(たい)を成していませんでした。大正時代中期、田人炭礦が軌道橋を建設。この上を人道(じんどう)として利用し、車馬などは川中を渡し舟で往来せざるを得ませんでした。
 このため、田人村を中心として熱心な橋梁建設の陳情運動が何度も繰り返されました。この結果、延長270尺(約82m)、幅10尺(約3m)、高さ30尺(約9m)、針金数十本を10cm程度に束ねたものに角材・板材を組み合わせた、岩城郡随一の吊橋が大正15(1926)年12月完成し、昭和2(1927)年5月8日に開通式が行われました。
 開通式においては、橋下の鮫川河原に芝居小屋が建ち歌舞伎の上演が行われました。最初の車が橋を通る時には、歌舞伎が中断され、皆固唾を呑んで通る車を見ていたと伝えられています。
 
この吊橋の特性は、時速10km程度で1台ずつ橋に乗り入れると沈み始め、吊橋全体が姿を変え、すなわち対岸側は膨れ上がるのですが、車が中央まで進むと、均衡の取れた吊橋に姿を変えました。
 また吊橋とともに、田人村大字黒田の炭鉱と植田駅を結ぶ専用軌道の橋も併設されました。
 その後、田人村で進んだ炭鉱開発や木材伐採に伴う輸送増を考えれば、吊橋型の橋は時代遅れでしたが、それまでの交通量や鮫川渓谷の谷口に位置していたという地形を考慮すると、やむを得ないことだったかもしれません。
 この橋の欠点は早々に表面化しました。車両の通行増加、大型化を想定していなかったのです。橋はトラックなどの重みに耐えきれなくなったうえに、橋板材の腐食、破損部分が急速に進み、車が橋から墜落する事故が起こり、昭和11、12(1936、37)年には死亡事故が発生しました。
 これ以降、永久橋への架け換え運動が本格化し、昭和15(1940)年には植田、山田、田人の3か町村や県補助、炭鉱会社の負担で補修こそ行われましたが、全面的な架け替えについては難工事が予想され、また戦中・戦後の混乱期を迎え、抜本的な解決をみることはありませんでした。
 太平洋戦争のさなかには、田人村で生産された木炭、石炭などの国の統制品が必ず井戸沢橋を通るため、橋のたもとには監視の警察官が立っていたので、橋は“見張り橋”と呼ばれていました。

現在の井戸沢橋 〔平成25(2013)3月 おやけこういち氏撮影〕

02_現在の井戸沢橋(平成25年3月、おやけこういち氏撮影)  井戸沢橋の架け替え運動は、戦中・戦後の混乱期には容易に盛り上がらなかったのですが、昭和23(1948)2月には、井戸沢橋架設促進委員会が設置され、ふたたび、関係者は架橋運動を興しました。
 政府も石炭輸送路の開発と改修が重要な施策と認め、同年樹立した常磐地区開発事業5か年計画のなかに、14計画路線の1路線として井戸沢橋改修も組み入れられました。しかし、予算化は容易になされず、昭和26(1951)年には、通行が危険な荷重4t以上の自動車は制限される状況でした
 
昭和26年9月開会の田人村議会定例会では、田人村長ほか14名から提出された陳情「井戸沢橋の架換えについて」が採択されました。村の調べによると、当時井戸沢橋を通過する貨物自動車は1日平均192台、うち石炭輸送車は160台に達していました。同年11月には「井戸沢橋架橋期成同盟会」が結成され、架設運動の機運が高まりました。
 こうした長年の運動が功を奏し、昭和28(1953)年1月に、橋梁延長90m、幅員5.5mの鉄筋コンクリート造り永久橋の起工式にこぎつけました。当初、橋の架け替えは昭和27(1952)年度から2か年の県営事業として予算計上されました。工事総額は第1期1,350万円、第2期895万円。このほか取り付け道路、土地買収費などを合算、総額約2,800万円に達する大工事となりました。
 途中、7mの深さまで河床を掘っても橋脚を立てる岩盤が十分でない難工事となり、予算が不足したため、田人村大字旅人のうち通称・出旅人(でたびうと)と大字黒田の地区民は、合わせて35万円を寄付採納しています。また、昭和28年8月からは田人村民に対しても寄付を募りました。
 完成したのは昭和29(1954)年3月。同年5月15日には、田人中学校において盛大に竣工式を挙行しました。
 井戸沢橋の山田町側の橋のたもとには、記念碑が建てられ、苦難の工事を経て完成した経緯が刻まれています。
 時代を経て、自動車の大型化により井戸沢橋が狭隘(きょうあい)となり、また見通しも悪く、早期の改修が望まれるようになりました。
 既設橋の両側は狭く、家屋が並んでいることから、同じ場所への架け替えは困難であるため、下流500mの位置に、平成5(1993)年から橋を含む付け替え道路の新設工事(全長860m)に取り掛かり、平成17(2005)年3月に川原大橋(かわはらおおはし)が竣工しました。自動車は、全長124mの橋を一気に通り抜けていきます。

概要地図

03_概要地図

その他の写真

吊り橋型の井戸沢橋。写真奥にみえるのは石炭運搬用軌道の木橋〔昭和時代初期 『ふるさとの想い出写真集 勿来』〕

 04_吊り橋型の井戸沢橋。写真奥にみえるのは石炭運搬用軌道の木橋〔昭和時代初期 『ふるさとの想い出写真集 勿来』〕

井戸沢橋吊り橋を山田村側から見る(昭和27年 板津弥吉氏所蔵)

05_井戸沢橋吊り橋を山田村側から見る(昭和27年、板津弥吉氏所蔵)

工事中の新橋の横を走る井戸沢旧橋の乗合バス(昭和28年頃 板津弥吉氏撮影)

06工事中の新橋の横を走る井戸沢旧橋の乗合バス(昭和28年頃、板津弥吉氏撮影)

井戸沢橋の開通式。上流側に見えるのが旧橋(昭和29年5月 板津弥吉氏撮影)

07_井戸沢橋の開通式。上流側に見えるのが旧橋(昭和29年5月、板津弥吉氏撮影)

井戸沢橋開通に集う山田村の住民(昭和29年 板津弥吉氏撮影)

08_井戸沢橋開通に集う山田村の住民(昭和29年、板津弥吉氏撮影)

井戸沢橋開通に伴い乗合バスを出迎える田人側の村民(昭和29年5月 板津弥吉氏撮影)

09_井戸沢橋開通に伴い乗合バスを出迎える田人側の村民(昭和29年5月、板津弥吉氏撮影)

鮫川に架かる川原大橋、その向こうに井戸沢橋(平成20年12月 おやけこういち氏撮影)

10_鮫川に架かる川原大橋、その向こうに井戸沢橋(平成20年12月、おやけこういち氏撮影)

市内にあるその他の吊橋

好間町上好間字岩穴の岩穴吊り橋を右岸から見る(昭和63年8月 高萩純一氏撮影)

11_好間町上好間字岩穴の岩穴吊り橋を右岸から見る(昭和63年8月、高萩純一氏撮影)

好間川・松坂吊り橋を北側から見る(平成5年 いわき市撮影)

12_好間川・松坂吊り橋を北側から見る(平成5年、いわき市撮影)

いわき公園「森のわくわく橋」開通(平成13年11月 いわき市撮影)

13_いわき公園「森のわくわく橋」開通(平成13年11月、いわき市撮影)

夏井川の霜月橋越しに見る夏井川第一発電所(平成26年11月 いわきジャーナル撮影)

14_夏井川の霜月橋越しに見る夏井川第一発電所(平成26年11月、いわきジャーナル撮影)

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