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『鎌田橋』(平成28年5月25日市公式Facebook投稿)

登録日:2016年5月25日

いわきの『今むがし』 Vol.47

夏井川に架かる鎌田橋を下流側から見る(昭和初期、郵便絵はがき「磐城平」佐々木商店)

1_夏井川に架かる鎌田橋を下流側から見る(昭和初期、郵便絵はがき「磐城平」 佐々木商店) 尼子橋伝説はさておき、現市域で最初に橋が架けられたのは夏井川で、天正年間(1573-1592)とされています。
 江戸時代初期、浜街道の夏井川には架橋がされなかったため、舟渡しで往来していました。ただし、水量の少ないときには簡易な木橋で通行した記述(『磐城枕友』)もあります。渡しの手前には、平城下の東口を固める鎌田口留番所(くちとめばんしょ)が設置され、磐城平藩が通行人や物資往来のチェックを行っていました。
 明治10年代に鎌田橋が架橋されましたが、大雨などで何度か流失したことから、明治24(1891)年7月にはこれまでよりも頑丈な橋が造られ、往来の機能を果たせるようになりました。
 しかしこれも流失し、大正4(1915)年8月に延長55間(約100m)、幅2間6尺(約4.8m)の木橋に架け替えられました。
 当初は、荷車、牛馬車が通る程度でしたが、大正時代末期から昭和時代のはじめにかけて、乗合バスや貨物自動車が通るようになると、通るたびに橋が揺れ、加えて腐食による破損が生じるようになりました。
 このため、昭和3(1928)年には平土木監督署が調査し、コンクリート化への改修を検討していきますが、多額の架橋費がかかることから断念。橋げたを鉄骨とし、橋幅も若干広げたうえで、橋板の上に約1尺(約30cm)を土盛りした土橋に改良して、昭和4(1929)年8月に完成させました。
 しかし、この形式も増え続ける自動車に対応しきれず、昭和6(1931)年には平土木監督署がコンクリート化の計画を立てます。その一方で、当時平町は平都市計画を策定し、本町通りを貫く国道6号については、屈曲する鎌田町の道路を避け、本町通りから一直線で夏井川を渡り、鎌田山を掘割して塩へ抜ける道路として計画され、具体化へ向け歩みだします。
 この計画に対し、鎌田地区民はこの新橋に反対しない代わりに、鎌田橋を含む道路を廃止せず県道とすること、現鎌田橋を永久橋にすることなどの陳情を行いました。
 しかし、鎌田橋を含む道路は短距離で、しかも生活道路となるため県道とすることは困難となり、地元民は鎌田橋存続に絞って関係者に要望しました。こうしたなか、昭和12(1937)年11月に夏井川に架かる国道6号の橋は「平神(へいしん)橋」と名づけられて完成。この完成に合わせて、鎌田橋を含む両岸の道路は、平市と神谷村の管理としてそれぞれ市道、村道として存続することになりました。
 鎌田橋の受難は続きます。昭和16(1941)年7月に東日本を襲った台風はいわき地方にも甚大な被害をもたらし、鎌田橋も流失してしまいます。再建のため、両岸の平市と神谷村はそれぞれ議会を開いて、再建案を上程します。しかし、神谷村の議会では費用を折半する割には利点が少ないとして否決されてしまいます。
 同案が可決された平市では、地区民からの再建要望を受け、神谷村に働きかけ、さらに神谷村の向鎌田住民も村当局に陳情して、ようやく、神谷村は平市負担分の約3分の1に当たる費用を負担とするという内容で再度村議会を開いて可決されました。
 この木橋は、昭和17(1942)年に完成をみました。

夏井川に架かる鎌田橋を下流側から見る 〔上段:昭和52(1977)年・下段:平成28(2016)年5月 いわき市撮影〕

2_夏井川に架かる鎌田橋を下流側から見る(昭和52年、平成28年5月 いわき市撮影) 木橋の鎌田橋は、昭和20(1945)年8月に始まる“戦後”においても、流失や破損と再建の繰り返しを続けます。
 特に、昭和39(1964)年8月に発生した集中豪雨で、鎌田橋は完全に流失してしまいました。
 当時、国道6号の最後の整備区間となる「平大橋」を含む両岸の新設道路建設に入っていました。平大橋のできる位置は鎌田橋の下流50m。廃止も危惧されましたが、地元民は“生活の足”としての存続を陳情し、延長90m、幅員2.6mの専用人道木橋として存続することが決まり、昭和42(1967)年2月に完成しました。
 昭和61(1986)年8月に発生した台風による集中豪雨は、市内に大きな被害をもたらしました。特に夏井川に架かる橋は市施工分としては12橋。このうち、2橋が永久橋、残る9橋が木橋でした。市は復旧事業として木橋のうち5橋を永久橋化、このなかには鎌田橋も含まれました。
 新鎌田橋は旧橋に比べ若干長い、延長95m、幅員2.5mの歩行者と自転車の専用橋。遠くからでも目立つ朱色の鋼製橋として、昭和62(1987)年11月に完成しました。翌年1月には竣工式が開催され、両岸の関係者が待望の渡り初めを行いました。
 その後、河川改修で川幅が広がり、これに合わせて平成5年(1993)5月には、橋の左岸部分が延長され、126.2mとなりました。
 旧神谷村の大字鎌田(通称・向鎌田)と旧平町・平市の字鎌田町。往来という共通のテーマを持ちながら、まったく異なった由来を持つ二つの地域をつないだ鎌田橋は、時代や社会の変容、存続の危機、自然災害にさらされながら、遠い地域とつながっていた幹線道路から沿岸の生活を支える道路へ姿をかえ、生き続けてきました。
 朝晩を中心とした通勤・通学であわただしく往来する人々、日中の買い物などの往来する人々の利用目的はさまざまですが、波乱万丈に満ちたこの橋に何を感じるでしょうか。

その他の写真

夏井川に架かる鎌田橋を下流側から見る(大正時代、郵便絵はがき「磐城平」佐々木商店)

3_夏井川に架かる鎌田橋を下流側から見る(大正時代、郵便絵はがき「磐城平」 佐々木商店) 

夏井川に架かる鎌田橋を下流側から見る(大正時代、郵便絵はがき「平町絵葉書」 佐々木商店)

4_夏井川に架かる鎌田橋を下流側から見る(大正時代、郵便絵はがき「平町絵葉書」 佐々木商店) 

夏井川下流から見た鎌田橋・背景に平発電所の煙突(昭和初期、郵便絵はがき)

5_夏井川下流から見た鎌田橋・背景に平発電所の煙突(昭和初期、郵便絵はがき) 

夏井川下流から見た鎌田橋と向鎌田(昭和初期、郵便絵はがき)

6_夏井川下流から見た鎌田橋と向鎌田(昭和初期、郵便絵はがき) 

夏井川と鎌田橋を下流側から見る(昭和50年、いわき市撮影)

7_夏井川と鎌田橋を下流側から見る(昭和50年 いわき市撮影) 

鎌田橋の永久橋への架け替え(昭61.8.5水害で流失)西側右岸から見る(昭和62年9月、高萩純一氏撮影

8_鎌田橋の永久橋への架け替え(昭61.8.5水害で流失)西側右岸から見る(昭和62年9月、高萩純一氏撮影) 

鎌田橋竣工式(昭和63年1月、いわき市撮影)

9_鎌田橋竣工式(昭和63年1月、いわき市撮影) 

鎌田橋渡り初め(昭和63年1月、いわき市撮影)

10_鎌田橋渡り初め(昭和63年1月、いわき市撮影) 

夏井川に架かる鎌田橋を上流側から見る(平成6年7月、いわき市撮影)

11_夏井川に架かる鎌田橋を上流側から見る(平成6年7月、いわき市撮影) 

平市街側からみる鎌田橋(平成6年7月、いわき市撮影)

12_平市街側からみる鎌田橋(平成6年7月、いわき市撮影) 

夏井川河畔・夏井川流灯まつりを上流側から見る(平成12年7月、いわき市撮影)

13_夏井川河畔・夏井川流灯まつりを上流側から見る(平成12年7月、いわき市撮影)

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