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『市役所本庁舎周辺』(平成27年2月18日市公式Facebook投稿)

問い合わせ番号:14551-8411-1843 更新日:2015年2月18日

【いわきの『今むがし』 Vol.17】

【平町立商業学校の校庭とその先に古川(現新川) 〔昭和15年(1940年)頃 郵便絵はがき〕】

昭和15年の平町立商業学校の校庭

 いわき市は昭和41年(1966年)10月1日に5市4町5村が大同合併して誕生しました。
 当時、各地域がさまざまな歴史を経て、しかも合併すれば市域面積が日本最大となることもあって、容易に市名、市庁舎が決まりませんでしたが、最終的に、名称は「いわき」、市庁舎は旧平商業高校の校舎と決定されました。校舎を市庁舎とした関係で、不具合が多く、しかも老朽化していたため、いずれ新市庁舎を建設、というのが市関係者をはじめ市民の考えでした。
 ところで、平商業高校はいつ建設されたか、ご存じですか。そう、太平洋戦争前の昭和14年(1939年)11月のことでした。それでは、その前は、どうだったのでしょうか?
 明治時代から大正時代にかけて、一帯は見渡す限りの水田がひろがっていました。当時は、今のように新川(当時は古川)の川幅は広くなかったのですが、内郷村(大字小島)や飯野村(大字谷川瀬、同北白土)との境となっていました。
 平市街は現在の新川緑地(当時は新川)まで南進しており、さらに南側へ伸びることが期待されていました。平町としても、周辺村との合併(特に飯野村)による市制施行をめざしており、通学者を迎え入れるためにはできるかぎり他村との境付近に学校を建てる方が良いということになり、当初第四小学校の建設予定地として字三崎の地(現・平中央公園の一画)が選ばれたのです。また、町民運動場の要望も高まり、町当局は字三崎に加えて、現在の県合同庁舎、市庁舎にまたがる土地すべてを買収しました。
 しかし、ここに強い力が働きます。字揚土(現・平一小、平一中周辺)に所在していた平町立商業学校の改築問題がクローズアップされたのです。卒業者で結成する「商友会」などは寄付を募り、働きかけを行いました。これが功を奏して、昭和11年(1936年)12月開会の町議会では、移転先を第四小学校建設予定地に、半ば横入りをするように移転が決まりました。

【いわき市庁舎に転用した旧平商業高校校舎を東側から見る 〔昭和44年(1969年)3月 いわき市撮影〕】

昭和44年のいわき市庁舎

 字三崎に平町立商業学校が建設されたことにより、平町当局は運動場の面積を減らして、字梅本に第四小学校と運動場を入れ込むことにしましたが、小学校建設にふたたび暗雲が立ち込めることになります。(昭和12年6月、平窪村と合併して市制施行したことにより、旧平窪村の小学校を第四、新たな学校を第五と変更)
 昭和12年(1937年)に中国大陸で勃発した武力衝突はそのまま日中戦争として継続され、戦時体制の強化が叫ばれるようになったのです。軍需を製造するための人材育成が求められ、主要都市が工業系の学校を建設する機運が高まるなか、平市としてもこれを実現することを検討。予定していた第五小学校の敷地が工業学校予定地として急浮上していきました。
 学校建設のための寄付も事業者や商店主から相次いで集まり、平市はこの動きに抗しきれない状況となっていきました。このため、平市は第一、第二小学校の増築と併せて昭和15年(1940年)2月に市議会に提出し、ようやく乗り切ることができました。
 こうして、昭和16年(1941年)12月、工業高校の新校舎が後の市庁舎敷地に完成しました。
 県立となった平商業高校、平工業高校ともに戦災で焼かれ、資材が乏しいなかで再建したため、昭和30年代には、建て替え時期を迎えることになります。
 平市は将来構想として、両校ともに郊外へ移転し、その後に平市庁舎(字堂根町・現在の市文化センター敷地)、市民会館をそれぞれ配置する青写真を描きました。この時点では、市庁舎建設はまだ平市の計画だったのです。
 その後、いわき市合併へ向けた検討が本格的になると、平市の計画は一旦棚上げとなります。
 その後、昭和41年(1966年)10月にいわき市が誕生。市庁舎は暫定措置として旧平商業高校の校舎に置かれ、新たな市行政の中枢として船出しました。

【写真中央奥が現市庁舎、手前が平中央公園(旧仮市庁舎)〔平成27年(2015年2月 いわき市撮影〕】

現在の市庁舎及び平中央公園

 合併時から懸案になっていた新市庁舎の建設は、市民に直結する施設の建設事業を優先したため、財政経過措置期間(注:)の切れる昭和44年(1969年)3月31日以降、具体的な検討に入りました。
注:行政水準の激変を緩和するため、一定期間、原則として合併前の町村の区域から生ずる財源をそのまま経費に充てる財政措置
 しかし、合併条件のなかで、新市の本庁舎の位置は「新市発足後、適当な時期に定めるもの」と決められていたことから、その位置については、市議会の庁舎建設特別委員会で、検討が重ねられることになりました。
 昭和45年(1970年)2月に開かれた11回目の委員会では「仮庁舎付近」、「福島高専付近」、「鹿島町」の3候補に絞られ、このなかから「仮庁舎付近」が、市庁舎として最も適切、と決りました。
 委員会では、さらに公聴会を開き、賛同を得たうえで最終案としました。
 同年2月開会の市議会臨時会では、仮庁舎の西側、道路を隔てた旧県立平工業高校およびその周辺が提案され、原案どおり可決されました。
 新庁舎の起工式は昭和46年(1971年)6月に平市民会館で開催。その後、市庁舎(地下1階、地上8階〔塔屋2階建て〕、高さ約38メートル、議会棟は別棟2階建て)は昭和48年(1973年)3月に落成しました。
 本庁舎の完成によって、これまで分散していた各種委員会や消防本部などが新庁舎に入りましたが、その後、行政事務の拡大、支所機能の集約化、情報システムの一元化・共有化などにより、一部の部署が本庁舎外の建物に機能を移しています。
 本庁舎建設から約40年、東日本大震災では大きな損害を受け、一部業務は市芸術文化交流館・アリオスに移さざるを得ない事態となりましたが、本庁舎の補強工事を行い再開。この際、1階市民課などのフロアはより一層利用しやすいように、リニューアルしました。
 地方行政の中核となる市庁舎。さまざまな法秩序にいわき市の特性を盛り込みながら、常に新しい時代を切り開く機能を担って活動しています。

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