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『平字旧城跡2(丹後沢)』(令和4年11月22日市公式SNS投稿)

登録日:2022年11月21日

いわきの『今むがし』Vol.157

磐城平城において、当初内堀の一部だった丹後沢  17世紀末に東西を陸地化されて「沼」化した。 〔正保年間(1644-48)  「正保平城絵図控」〕

1磐城平城において、当初内堀の一部だった丹後沢  17世紀末に東西を陸地化されて「沼」化した。 〔正保年間(1644-48)  「正保平城絵図控」〕   磐城平城の本丸、二の丸、三の丸を分けていた丹後沢は江戸時代から明治時代への激動期に、かろうじて残った水空間です。不便な場所にあったことがかえって開発の手から逃れることになりました。
 公園化をめざす平地の入口から西側の木製階段を降りると、丹後沢が見えてきます。長さ約320m、幅約30m、水深最大約3m。南北の高台からの湧き水を集め、枯れることがありません。
 かつて磐城平城を築く際に自然の沼を貯水池として拡張しようとしましたが、建設中に大雨が降って何度も決壊したため、菅波村の丹後という古老が人柱になって水害を防いだという悲劇がありました。全国をみまわしてみると、江戸時代の城や橋、隧道の難工事には、いくつもの人柱についての慣習にも似た物語があります。
 明治時代まで飲み水に使われ、周囲の森が水際まで深い影を落とし、森閑(しんかん)とした池でした。この池が憩いの場となったのは大正時代に入ってからのこと。まず周辺の住民が大正15(1926)年3月、官有地の払い下げを受け、小公園として周囲を整備しました。昭和時代に入って平町も国有地であった池の払い下げを受け整備を進めました。さらに、平町は池の有効活用を図るため、昭和9(1934)年から5年契約で町民に貸し付け、ボートを浮かべコイを放流して遊覧池として開放しました。
 昭和10(1935)年には、丹後沢遊覧会が主催して太公望釣大会を開催しました。昭和10年代初期、丹後沢は平町民(昭和12〔1937〕年6月に市制施行して平市)の憩いの場としてにぎわいをみせるようになりました。
 しかし、戦時色が濃くなると、レジャーなどは自粛され、丹後沢は昭和17(1942)年には防空用の水源として整備されました。

丹後沢を東側から見る〔昭和47(1972)1月 いわき市撮影〕

2 丹後沢〔昭和47年(1972)1月  いわき市撮影〕 昭和20(1945)8月、長きにわたる戦争が終結しました。日本の各所は疲弊著しく、丹後沢も荒れるにまかせる状態でした。
 丹後沢をかつての憩いの場に戻そうと、有志が動き出したのは、昭和21(1946)年のことでした。平市は戦前のように丹後沢の水面使用権を競争入札の手法で貸し出しをしました。
 昭和25(1950)79日付『いわき民報』は「山の緑をくっきり映した水面をなでて吹く涼風を求めて若人の群が猛暑の到来とともににわかにどっと押し寄せて大賑わいを呈し、ボート屋のおじさんに嬉しい悲鳴を上げさせている。水しぶきを上げてバタフライに打ち興ずる河童連、色とりどりのパラソルに肩を並べて、オールを動かすアベック組、涼しい木陰に静かに釣糸を垂れる老天狗と、真夏を迎えて、丹後沢辺りは連日の避暑客でテンヤワンヤをみせている」とにぎわいぶりを報じています。
 この頃、備えられていた貸しボートは10隻、毎年4月から9月まで水辺をにぎわせました。 昭和35(1960)年には、平市・平観光協会がボートや釣りの名所として夏井川とともに丹後沢を載せたポスターを作成して配布するほどでした。これに併せて、夏井川漁業協同組合は昭和37(1962)年に丹後沢の一角に散策路を兼ねた釣り場を設置し、コイを放流し、遊魚場を開きました。昭和30年代から40年代にかけて丹後沢は市民に親しまれる場として知られる場所となりました。
 しかし、市民の生活が豊かになるにつれて、周囲の家庭からの生活雑排水が流れ込み、これが丹後沢の自然浄化作用を超えるようになり、汚れが目立つようになっていきます。
 折から、レジャーの多様化が重なって、丹後沢を訪れる市民はめっきり少なくなりました。
 下水道が整備されて、このような事態は解消されましたが、遊歩道は草木が繁茂して荒れ、ごみが池に投げ込まれることが頻発しました。 このことから、丹後沢の公園整備が検討されるようになりました。最初に検討されたのが、丹後沢の南西側に位置する「武者落とし」の個所でした。ここは江戸時代には水辺でしたが、明治時代以降に陸地化され、昭和40年代に開発計画が持ち上がりましたが、地元住民は子どもの広場に開放してほしいと公有化を市に陳情。市は要望を受け入れ、昭和51(1976)年に児童公園化した場所でした。
 平成9(1997)3月には、「丹後沢公園」として、武者落としと呼ばれた個所に、「ふれあい広場」としてあずま屋やトイレ、水飲み場、複合遊具など、さらに池の周辺修景や城跡の高台との間にある急斜面には階段、物見台の設置などが整備されました。
 平成22(2010)年からは、毎年9月に丹後沢公園で地元の城山自治会や月見の宴実行委員会が、竹灯籠や行灯(あんどん)に灯を点しながらさまざまな出し物による「龍が城月見の宴」を開いています。
 市街地に接近しているとは思えないほどのひっそりとした空間。鬱蒼とした木々が池に覆いかぶさり、昼間でも陰陽の落ち着いた風景を醸し出し、訪れた人に歴史の重みとして何かを投げかけているようでもあります。

(いわき地域學学會 小宅幸一)

  その他の写真

「磐城平」丹後澤(大正時代、佐々木商店)

「磐城平」丹後澤(大正時代、佐々木商店)

「平市十六景色」丹後澤の景(昭和12年頃、佐々木商店)

「平市十六景色」丹後澤の景(昭和12年頃、佐々木商店)

 3本丸の北側に位置する丹後沢 〔明治16年(1883) 『地図からいわきの歴史を読む』を引用して、一部改変〕

3本丸の北側に位置する丹後沢 〔明治16年(1883) 『地図からいわきの歴史を読む』を引用して、一部改変〕

木々が鬱蒼と茂る丹後沢公園 〔令和3年8月 小宅幸一撮影〕

■写真1-4  木々が鬱蒼と茂る丹後沢公園 〔令和3年8月 小宅幸一撮影〕

公園化された丹後沢。周囲では、一部宅地化 〔令和3年(2021)8月 小宅幸一差映)

■写真2-4  公園化された丹後沢。周囲では、一部宅地化 〔令和3年(2021)8月 小宅幸一差映)

 丹後沢の周辺で進む住宅化 〔1.25,000地形図 平(平成18年更新)〕

■地図2  丹後沢の周辺で進む住宅化 〔1.25,000地形図 平(平成18年更新)〕

丹後沢とサクラ(大正時代、佐々木商店) 

4丹後沢とサクラ(大正時代、佐々木商店)

第8回龍が城・月見の宴(1)(平成29年9月、いわき市撮影)

第8回龍が城・月見の宴(1)(平成29年9月、いわき市撮影)

第8回龍が城・月見の宴(2)(平成29年9月、いわき市撮影)

第8回龍が城・月見の宴(2)(平成29年9月、いわき市撮影)

丹後沢・ふるさと宝物見聞ツアー(平成15年7月、いわき市撮影)

丹後沢・ふるさと宝物見聞ツアー(平成15年7月、いわき市撮影)

城山丹後澤(昭和10年代)

5城山丹後澤(昭和10年代)

丹後沢(明治時代末期、真木隆四郎氏撮影)

6丹後沢(明治時代末期、真木隆四郎氏撮影)

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