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『豊間二見ケ浦』(令和4年3月23日市公式SNS投稿)

登録日:2022年3月23日

いわきの『今むがし』Vol.149

二見ケ浦〔大正時代、郵便絵はがき〕

二見ヶ浦郵便絵はがき 豊間字合磯(かっつぉ)の二見ケ浦は“夫婦岩”とも言われ、伊勢の二見ケ浦と似ていることから名付けられました。男岩が高さ15m、根周り30m、女岩は高さ14m、根周り28mで、西行(さいぎょう)法師は「剃った身のままで豊間の二見かな」と詠んでいます。
 一帯は磯岩が連なり、潮干狩りや海草摘み、磯釣りの人が訪れる場所で、鵜が餌場にしていました。
 合磯の鵜島とも呼ばれ、昭和30(1955)年に鵜の生息地として天然記念物指定の申請をするとともに、伊勢の二見ケ浦にあやかって“しめ縄”を張ったところ、鵜が姿を消してしまったことから、その後、しめ縄は外されました。
 それでも、毎年元旦には、二つの岩の間から太陽が昇る珍しい光景を見ようとする人々や、水平線から太陽が顔出す瞬間を撮影するカメラマンも多く訪れました。
 二見ケ浦は入り江となっており、合磯海水浴場が開設されていました。交通の便は良くありませんが、ピークの昭和62(1987)年には約3万7千人の海水浴客が訪れるほどでした。
 いわき市の海岸線に点在する島は、砂岩層であることから浸食に弱く、二見ケ浦も同様でした。陸側から見て、左側の女岩は平成時代に入ってから岩にひび割れを起こしていましたが、平成20(2008)年頃には高波により上部が高さ約2m、幅約5mにわたって崩落して、存在が危ぶまれました。

 

東日本大震災によって写真左側の通称・女岩が崩壊し、消失(平成23年4月7月、いわき市撮影)

9〕 平成23(2011)年3月11日に発生した東日本大震災の大津波は、海岸部の合磯海岸にも大きな被害をもたらしました。
 存続が危ぶまれていた陸側から左側の通称・女岩は、この大震災でとうとう崩落して姿を消してしまいました。
 また、大地震によって、日本列島が海側に引っ張られるとともに沈降したことにより、海水浴場の砂浜面積が大きく縮小してしまったため安全が保てなくなりました。また、海水浴入込み客が平成9(1997)年以降は1万人を割り込み、その後も減少傾向であったことから、平成30(2018)年の夏を前に開催された海水浴安全対策会議において、海水浴場として継続は不適と判断され、廃止が決まりました。
 合磯海岸を含む豊間海岸は、平成28(2016)年度に防潮堤かさ上げ工事が完成しました。
(いわき地域学會 小宅幸一)

その他の写真

二見ケ浦の日の出(昭和20年代、郵便絵はがき「江名付近名所絵はがき」二見写真所発行)

3 二見ケ浦の日の出(昭和20年代、郵便絵はがき「江名付近名所絵はがき」二見写真所発行)

 

豊間二見ケ浦(昭和30年代、郵便絵はがき「たいら観光絵はがき」平市観光協会発行)

4 豊間二見ケ浦(昭和30年代、郵便絵はがき「たいら観光絵はがき」平市観光協会発行)

 

二見ケ浦の鵜と遠方に塩屋埼灯台(昭和50年代、いわき市撮影)

5 二見ケ浦の鵜と遠方に塩屋埼灯台(昭和50年代、いわき市撮影)

 

 合磯海水浴場と二見ケ浦(平成11年7月、いわき市撮影)

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二見ケ浦(平成11年7月、いわき市撮影)

6 二見ケ浦(平成11年7月、いわき市撮影)

 

二見ケ浦の日の出(平成16年1月1日、いわき市撮影)

7 二見ケ浦の日の出(平成16年1月1日、いわき市撮影)

 

二見ケ浦・日の出(平成19年1月、いわき市撮影)

8 二見ケ浦・日の出(平成19年1月、いわき市撮影)

  

初日の出に津波犠牲者を悼む(平成24年1月1日、いわき市撮影)

10 初日の出に津波犠牲者を悼む(平成24年1月1日、いわき市撮影)

 

仮設の防潮堤が設置(平成26年5月、いわき市撮影)

11 仮設の防潮堤が設置(平成26年5月、いわき市撮影)

 

豊間海岸のかさ上げ防潮堤を合磯岬上空から北方に向って見る(平成29年7月、いわき市撮影)

12 豊間海岸のかさ上げ防潮堤を合磯岬上空から北方に向って見る(平成29年7月、いわき市撮影)

 

合磯海岸防潮堤が完成(平成30年3月、いわき明星大学震災アーカイブ室撮影)

13 合磯海岸防潮堤が完成(平成30年3月、いわき明星大学震災アーカイブ室撮影)

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電話番号: 0246-22-7402 ファクス: 0246-22-7469

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