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『豊間海岸』(令和3年2月9日市公式SNS投稿)

登録日:2022年2月9日

いわきの『今むがし』Vol.148

豊間防潮堤に沿って通じる県道豊間-四倉線で大国魂神社の浜下り〔平成13(2001)年5月、いわき市撮影〕

豊間防潮堤に沿って通じる県道豊間-四倉線で大国魂神社の浜下り〔平成13(2001)年5月、いわき市撮影〕 豊間海岸では毎年5月、浜辺に下りて神輿を海に入れて揉むという「お潮採り」あるいは「神輿渡御(とぎょ)祭」という、磐城大國魂神社の神事が行われています。
一般的には「浜下り」、「浜降り」、「潮垢離(しおごり)」などと呼ばれており、ハマオリ、ハマクダリ、オサガリとさまざまな読み方をします。神輿が浜に降りるのは、衰えた神の力を海の潮で浄めることによって再生させるためだといわれています。神の力で農作業の無事を祈る行事でもあります。
 必ずしも明らかでないのですが、全盛期の昭和時代中期まで、浜下りはいわき地方の約60の神社で行われたといわれています。海に近い、伝統を受け継ぎやすい環境にある神社では、いわき地方を含め、東日本の海岸に広く分布していましたが、現在は、いわき地方においても数か所でしか行われていません。
 大國魂神社の場合は、海岸でお潮採り神事を行ってから神輿を海に入れるという順序で行われ、特徴的なのは神輿の担ぎ手が豊間集落の入口で農業従事者から漁業関係者へ担ぎ手が変わることです。
 この「磐城大國魂神社のお潮採り神事」は平成20(2008)年4月、県の重要無形民俗文化財に指定されています。
 同神社の浜下りは、担ぎ手となる漁業関係者の不足から昭和30年代初めには4年に1度の開催となっていましたが、平成8(1996)年にこれを復活させるため同神社御神輿保存会「豊間海友会」が結成。以来毎年、浜下りを行っています。
 また、豊間海岸は自然環境に恵まれた海岸でもあります。
 白い砂浜が歩くたびに、「キュッ、キュッ」あるいは「ヒューッ、ヒューッ」と、ガラスを発泡スチロールでこすったときに出るような、澄んだ高音を出す鳴き砂。外からの力が加わると石英粒を多く含んだ砂が相互に振動し合い、音を出します。
 阿武隈高地の花崗岩が永い歳月をかけて風化し、石英だけが自然の作用で海岸へ流れ出て、揉まれる間に角が取れ、丸みを帯びて白い石英粒となります。
 豊間海岸の「鳴き砂」は平成9(1997)年9月、「うつくしまふくしまの音の30選」に認定されました。砂が鳴る第一の条件は汚れがないことで、自然環境の良さを示しています。
 平成16(2004)年10月には、「2004年全国鳴き砂(鳴り砂)サミットinいわき」が市内豊間海岸などで開催されました。 

豊間防潮堤に沿って通じる県道豊間―四倉戦でサイクリングロードマップ作製委員による試走とサーファー〔平成19(2007)年7月、いわき市撮影〕

豊間防潮堤に沿って通じる県道豊間―四倉戦でサイクリングロードマップ作製委員による試走とサーファー〔平成19(2007)年7月、いわき市撮影〕 平成23(2011)年3月11日に発生した東日本大震災の大津波は、海岸部の平豊間にも大きな被害をもたらしました。
 豊間海友会は、「磐城大國魂神社のお潮採り神事」を後世に伝えようと、平成14(2002)年、浜下りの場所である豊間海岸の塩屋川河口付近に、神事の由来を刻んだ石碑を建立しました。しかし、震災時の大津波で破損、その場所が防災緑地に転用される予定となったことから、石碑は、平成27(2015)年1月、北方700m地点の平豊間字洞(ぼら)に津波の傷痕を残したまま再建立され、移転の経緯を記した碑も隣に建てられました。
 東日本大震災によって、海岸線の形状も変化しました。
 平成23年11月、市内16海岸で鳴き砂調査が行われました。結果によると8か所の鳴き砂が変化しており、うち6か所がランク落ちしていました。「かなり良く鳴く」と評価されたのは、薄磯、豊間、永崎、下神白、錦町須賀の5か所で、豊間海岸は、石英粒の含粒率が67%と高く、鳴き方も高いという結果でした。
 これは、大地震によっていわき市の地盤が-33cm~-50cm沈降し、海岸の自然環境は大きく変化したことによって、それまで比較的安定していた海岸線の砂浜に影響を与え、鳴き砂の鳴き具合が相対的に低下したと考えられます。また、これは自然作用に由来してのことで、汚染との関係は明確でないと考えられています。

 その後、住民の安全を守るために、海岸防潮堤の高さを2m前後かさ上げして、7.2mに補強されました。
 一方で、一旦沈降した地盤は、直後から年間数cmの割合で徐々に隆起していることが報告されています。市内の防潮堤かさ上げ工事は平成30(2018)年度に全て完成しましたが、この防潮堤整備が鳴き砂にどのような影響を及ぼすかは、少し長い目で見なければならないでしょう。
(いわき地域学會 小宅幸一)

その他の写真

大国魂神社の御潮採り神事が行われる豊間海岸 〔昭和時代初期 『いわきの昭和』より〕

3 大国魂神社の御潮採り神事が行われる豊間海岸 〔昭和時代初期 『いわきの昭和』より〕

 

豊間海岸・遠くに塩屋埼灯台(平成11年9月、いわき市撮影)

4 豊間海岸・遠くに塩屋埼灯台(平成11年9月、いわき市撮影)

 

豊間海岸の鳴き砂表示板(平成16年10月、いわき市撮影)

5 豊間海岸の鳴き砂表示板(平成16年10月、いわき市撮影)

 

全国鳴き砂サミット・豊間海岸(平成16年10月、いわき市撮影)

6 全国鳴き砂サミット・豊間海岸(平成16年10月、いわき市撮影)

 

サイクリングとサーファー(平成19年11月、いわき未来づくりセンター撮影)

7 サイクリングとサーファー(平成19年11月、いわき未来づくりセンター撮影)

 

お潮採り神事・神輿渡御(平成20年4月、いわき市撮影)

8 お潮採り神事・神輿渡御(平成20年4月、いわき市撮影)

 

豊間海岸の大国魂神社浜下り(平成21年4月、いわき市撮影)

9 豊間海岸の大国魂神社浜下り(平成21年4月、いわき市撮影)

 

豊間海岸の大國魂神社浜下りと防潮堤(平成21年4月、いわき市撮影)

10 豊間海岸の大國魂神社浜下りと防潮堤(平成21年4月、いわき市撮影)

 

大日本大震災によって、県道豊間-四倉線沿いの防潮堤や内側の家屋が被災(平成23年3月30日、いわき市撮影)

11 大日本大震災によって、県道豊間-四倉線沿いの防潮堤や内側の家屋が被災(平成23年3月30日、いわき市撮影)

 

大日本大震災によって、県道豊間-四倉線沿いの防潮堤や内側の家屋が被災(平成23年3月30日、丹野稔氏撮影)

12 大日本大震災によって、県道豊間-四倉線沿いの防潮堤や内側の家屋が被災(平成23年3月30日、丹野稔氏撮影)

 

防潮堤被災(平成23年4月11日、斎藤充弘氏撮影)

13 防潮堤被災(平成23年4月11日、斎藤充弘氏撮影)

 

いわき鳴き砂地調べ楽しむ会in豊間・豊間海岸(平成24年10月、いわき民報社撮影)

14 いわき鳴き砂地調べ楽しむ会in豊間・豊間海岸(平成24年10月、いわき民報社撮影)

 

防潮堤かさ上げ工事(平成26年8月、いわきジャーナル撮影)

15 防潮堤かさ上げ工事(平成26年8月、いわきジャーナル撮影)

 

豊間地区の大国魂神社の「神輿渡御由来碑」が復興事業工事に伴い、海岸近くから豊間字洞に移転(平成27年1月、いわき市撮影)

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防潮堤のかさ上げ工事が施工(平成27年2月、いわきジャーナル撮影)

17 防潮堤のかさ上げ工事が施工(平成27年2月、いわきジャーナル撮影)

 

完成した防潮堤とサーファー(令和元年9月、医療創生大学震災アーカイブ室撮影)

18 完成した防潮堤とサーファー(令和元年9月、医療創生大学震災アーカイブ室撮影)

 

防潮堤完成記念で制作された「海を見る人」(令和元年9月、医療創生大学震災アーカイブ室撮影)

19 防潮堤完成記念で制作された「海を見る人」(令和元年9月、医療創生大学震災アーカイブ室撮影)

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