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『薄磯』(令和3年4月21日市公式SNS投稿)

登録日:2021年4月21日

いわきの『今むがし』Vol.146

北方上空から見る平薄磯〔平成20(2008)年5月、いわき市撮影〕

1 江戸時代、薄磯村は北隣の沼ノ内村とともに磐城平藩に属し、南隣の豊間村は湯長谷藩に属していました。
 明治22(1889)年4月、薄磯村は豊間村、沼ノ内村とともに合併され、村名は「豊間」となり、村役場は旧薄磯村に置かれました。
 薄磯集落は周囲を丘陵地に囲まれ、零細の農業と漁業を営んでおり、カツオ漁やギス漁の沿岸漁業による半農半漁の集落でした。明治時代から大正時代にかけて、沿岸漁業では1本釣りカツオ船は沖引き船など、小さいながら12、3軒の船主が存在し、カツオ節製造や魚行商などを細々と行っていました。
 少しでも漁獲高を上げようと設備投資したものの、大正時代半ば以降の不景気で立ち行かなくなり、細々とウニ・アワビの磯漁を中心として生計を営む程度で、築港整備も隣の沼ノ内や豊間が中心で、薄磯には船溜りがあるだけでした。
 一方、富神岬と塩屋埼の岬に囲まれた遠浅の恵まれた景観と塩屋埼灯台によって、薄磯海水浴場を中心とした観光拠点として発展しました
 薄磯集落から灯台下までの道路と海水浴場の整備が進み、集落の人々は、半農半漁の一方で民宿を経営して、宿泊客を迎え入れるようになります。周辺に宿泊施設がなかったことから民宿は人気を呼び、最盛期には薄磯だけで20件余りにも達しました。
 

東方上空から見る平薄磯〔昭和60(1985)年8月、いわき市撮影〕

2 平成23(2011)年3月11日に発生した東日本大震災の大津波は、平薄磯にも大きな被害をもたらしました。
 富神崎と塩屋埼に囲まれた遠浅な海を控え、大津波は防潮堤を大きく乗り越えて集落全部を飲み込み、ほとんどの家屋を破壊しました。平薄磯字中街では高さ8.51mの大津波を記録しました。
 住宅被害は、全壊家屋が87%と被害が大きく、このうち流失家屋は65%を占めました。公共施設のうち唯一、集落の最も奥に位置していた豊間小学校の校舎はかろうじて難を逃れました。
 薄磯地区の被害は市内で最も多く、直接死で111人が亡くなりました。
 甚大な被害を受けた市街地では、住民は避難所、仮設住宅などを経て、地域をどう立て直すか、行政などと協議を繰り返しました。この結果、津波を防ぐための河川や海岸保全施設などの整備に合わせて後背市街地および隣接する農地、山林などを含めた区域を、土地区画整理事業で一体的に整備することにより市街地の再生を図る、「震災復興土地区画整理事業」を進めることとしました。
 具体的には、海岸防潮堤や河川堤防をかさ上げし、背後に津波防災緑地を設けるとともに、県道豊間−四倉線を整備して、観光振興の向上を図りました。その背後には、震災復興土地区画整理事業により住宅、道路、公園などを配置し、良好な市街地環境を形成しました。被災した豊間中学校は、従来の校舎から約300m内陸側へ移転しました。
 平成24(2012)年に開始した同事業は、平成30(2018)年2月に竣工しました。
 このほか、市は平薄磯字北ノ作に災害公営住宅「市営薄磯団地」(103戸)を整備し、豊間小学校・中学校の南側には県道小名浜-四倉線と結ぶ市道を開設しました。
 震災復興土地区画整理事業の対象区域では、被災した宅地が再配置され、新たな街の街区に合わせて行政名が大きく変更されました。
 アンケートを実施して地元案をまとめ、この結果、「復興にふさわしい、従来の名称を生かした新しい町名にしたい」との意見が多くを占め、検討の結果、「平薄磯」から「平」を外して「薄磯」とし、「字」もすべて外して一~三丁目に区分する、という行政地名に決定しました。


(いわき地域学會 小宅幸一)

 

その他の写真

北方上空から見る豊間小学校、同中学校の北側〔平成20(2008)年5月、いわき市撮影〕

1-2 北方上空から見る豊間小学校、同中学校の北側〔平成20(2008)年5月、いわき市撮影〕

 

北方上空から見る、東日本大震災で被災した平薄磯〔平成23(2011)年11月、いわき市撮影〕

1-3 北方上空から見る、東日本大震災で被災した平薄磯〔平成23(2011)年11月、いわき市撮影〕

 

被災した家屋などを撤去〔平成26(2014)年3月、いわき市撮影〕

4

 

震災復興土地区画整理事業がスタート〔平成27(2015)年12月、いわき市撮影〕

1-5 震災復興土地区画整理事業がスタート〔平成27(2015)年12月、いわき市撮影〕

 

震災復興土地区画整理事業が完成し、住宅が建ち始める薄磯〔平成31(2019)年3月、いわき市撮影〕

1-6 震災復興土地区画整理事業が完成し、住宅が建ち始める薄磯〔平成31(2019)年3月、いわき市撮影〕

 

東方上空から見る、東日本大震災で被災した平薄磯〔平成23(2011)年3月12日、県消防防災航空隊撮影〕

2-2 東方上空から見る、東日本大震災で被災した平薄磯〔平成23(2011)年3月12日、県消防防災航空隊撮影〕

 

被災後の状況〔平成23(2011)年11月、いわき市撮影〕

2-3 被災後の状況〔平成23(2011)年11月、いわき市撮影〕

 

震災復興土地区画整理事業がスタート〔平成27(2015)年12月、いわき市撮影〕

2-4 震災復興土地区画整理事業がスタート〔平成27(2015)年12月、いわき市撮影〕

 

震災復興土地区画整理事業が完成し、住宅が建ち始める薄磯〔平成31(2019)年3月、いわき市撮影〕

2-5 震災復興土地区画整理事業が完成し、住宅が建ち始める薄磯〔平成31(2019)年3月、いわき市撮影〕

 

平薄磯の水没集落を高い建物から見る(2011年3月11日,15時34分、小野貞夫氏撮影

3 平薄磯の水没集落を高い建物から見る(2011年3月11日,15時34分、小野貞夫氏撮影

 

平薄磯(手前:市立豊間小学校)、薄磯海岸を南西側上空から見る(2011年3月25日、陸上自衛隊第8普通科連隊撮影)

4 平薄磯(手前:市立豊間小学校)、薄磯海岸を南西側上空から見る(2011年3月25日、陸上自衛隊第8普通科連隊撮影)

 

薄磯震災復興土地区画整理事業を山側上空東方に向かって見る(2019年3月、いわき市撮影)

5 薄磯震災復興土地区画整理事業を山側上空東方に向かって見る(2019年3月、いわき市撮影)

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電話番号: 0246-22-7402 ファクス: 0246-22-7469

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