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『植田町本町』(令和2年2月5日市公式Facebook投稿)

更新日:2020年2月5日

いわきの『今むがし』Vol.133

上 植田本町通り 金山町方向を見る〔昭和28(1953)年頃、長谷川達雄氏撮影〕
下 植田本町通り 金山町方向を見る〔平成27(2015)年8月、いわき市撮影〕

植田本町通り 金山町方向を見る〔昭和28(1953)年頃、長谷川達雄氏撮影〕

 江戸時代、植田には浜街道の宿場が置かれ、鮫川の川運によって人や物資が集まる場として栄えました。
 明治30(1897)年に日本鉄道磐城線(現JR常磐線)の植田駅が開設されると、農林業の盛んな田人、遠野、錦、山田などの地域を控え、陸運と川運を通じて石炭や農産・林産物などが往来する交通要所になりました。
 このようなことから、さまざまな官公署が置かれ、いわき地方南部の政治・経済の中心地として確固たる地位を築いていきました。
 商業の中心となったのは、長さ約400mの植田本町通りでした。昭和20年代から30年代にかけて直進で金山方向へ延びる新国道が改修され、円滑な交通路が確保されました。
 昭和29(1954)年3月30日付の『いわき民報』は、植田町の繁栄を「かつて植田町の商店街はネオンもなく鈴蘭燈がまばらに出来ただけで夜は全く殺風景であったが、最近ネオン燈が流行し、今では台町から本町通りにかけて三十数軒が色とりどりのネオン燈をつけ、夜の商店街は文字通り不夜城化して来た。専門店会では花見までに更に電飾しようと大意気込み」と報じています。
 昭和30年代に入ると、高度経済成長で商店街は著しく発展しましたが、その一方、車社会の到来で手狭な植田市街の道路は機能しなくなりました。特に本町通りの商店街は、車の路上駐車で往来に支障をきたしました。
 本町通りの鮫川に近い道路沿いは、遠野・山田方面との分岐点に位置していたことから、石炭輸送や砂利運搬の集散地として多くの人が集い、それに伴い花街や小料理屋が建ち並び繁栄しました。また鮫川が近いため、採取された川砂利が川端に陸揚げされ、これを輸送するトラックが列をなしていました。
 このため、昭和33(1958)年に本町通りは駐車禁止区域に指定されました。また常磐線、国道6号と平面交差する県道勿来・小野線の混雑緩和のため、昭和40(1965)年には立体交差橋が建設されました。
 市街周辺の道路が整備されるなか、常磐共同火力(株)勿来発電所、呉羽化成(株)などが進出し、さらに外部資本による大型店舗が進出(亀宗・昭和39年、藤越・昭和38年)し、商店街も大きく変化していきます。
 交通往来の過密が著しくなるなか、長年本町通りで開催された「植田暮市」の存続が難しくなりました。
 「植田暮市」(旧暦で実施。毎年2月上旬開催)は明治時代から毎年、上町と下町が一年交代で旧暦の大晦日に開催する伝統行事でした。近隣の村の暮市のなかでは最も遅く行われ、いわば“千秋楽”ともいえるにぎわいでした。
 

上 植田本町通り 台町交差点から大島方面を見る(昭和28年頃、長谷川達雄氏撮影)
下 植田本町通り 台町交差点から錦町方向を見る〔令和2(2020)年1月、いわき市撮影〕

2 本町通りを交通遮断して行われた「植田暮市」は、交通往来が増えるにつれて、開催が難しくなりました。ほかの道路への迂回路がないことが大きな理由でした。
通りの数百に及ぶ露店では年末最後の物品を販売し、近隣から集まった人で盛況を極めていましたが、車優先に向かいつつある社会にあっては厄介な存在になりつつありました。
 こうして「植田暮市」は、昭和35(1960)年を最後に、姿を消しました。
 昭和36(1961)年9月開会の勿来市議会で、植田町商店会から陳情書が提出されました。「(商店街は)独自の発案によって交通整理等を試みて参りましたが、これらの自主的発案の効果等をもっては如何ともなし難い現状であり、(中略)現地に即応する抜本的施策を早急に実施下さるよう地域住民を代表し、陳情する次第です」と悲痛ともいえる交通緩和策が訴えられています。
このような状況は、道路の建設の機運を盛り上げ、昭和47(1972)年に国道6号常磐バイパスが開通されました。
 植田本町通り(昭和52年4月から主要地方道いわき-上三坂-小野線へ変更)の慢性的な交通渋滞が解消されたことから、かつての「市」を新たな形で復活させようという動きが起こりました。“道路を歩行者に解放”という、全国に広がる「歩行者天国」ブームが後押したのです。待望の歩行者天国は昭和48(1973)年9月に行われ、現在は毎年5月5日の「こどもの日」に移行して続けられています。
 昭和50年代以降、植田駅前を中心とする近代的な商店街に人が集まるようになり、一方「車社会」が進展するなか、本町通りは駐車場の不足、商店近代化への脱皮を図ることができず、街の空洞化が進んでいる状況にあります。
(いわき地域学會 小宅幸一) 

その他の写真

上 植田本町通りの暮市 東邦銀行植田支店付近・金山町方向を見る〔昭和31(1956)年2月、長谷川達雄氏撮影〕
下 植田町本町通りを北方に向かって見る(平成27年4月、いわき市撮影)

3-1 植田本町通りの暮市 東邦銀行植田支店付近・金山町方向を見る〔昭和31(1956)年2月、長谷川達雄氏撮影〕

 

植田本町通り(昭和28年頃、長谷川達雄氏撮影)

4 植田本町通り(昭和28年頃、長谷川達雄氏撮影)

 

植田本町通り・緑のおばさん(昭和43年4月、いわき市撮影)

5 植田本町通り・緑のおばさん(昭和43年4月、いわき市撮影)

 

植田町本町(昭和49年2月、いわき市撮影)

6

 

植田都市改造事業の竣工(昭和53年5月、いわき市所蔵)

7 植田都市改造事業の竣工(昭和53年5月、いわき市所蔵)

 

植田町本町歩行者天国(平成元年5月、いわき市撮影)

8 植田町本町歩行者天国(平成元年5月、いわき市撮影)

 

植田本町通り・うえだパティオ通りとの交差点から南方を見る(平成8年、いわき市撮影)

9 植田本町通り・サンパルク通りとの交差点から南方を見る(平成8年、いわき市撮影)

 

植田町本町通りの歩行者天国・南方を見る(平成24年5月、いわき市撮影)

10 植田町本町通りの歩行者天国・南方を見る(平成24年5月、いわき市撮影)

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総合政策部 ふるさと発信課
電話番号:0246-22-7503
ファクス番号:0246-22-7469

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